2019年9月15日日曜日

観劇日記 -- 第一回おとな公演 「踊れ!人生があるうちに。」

同じ内容をnote.muにも載せています。

昔ついた嘘

昔ついた嘘を思い出した。あれは、教育実習の一環で介護の体験をしていたときのことだ。あるおばあさんから「こんな汚い年寄りの世話をさせて申し訳ない」と言われたときに「歳を重ねた方はその方しか出せない美しさがあると思います」と答えたことだ。白状すると、100%気持ちがある言葉じゃなかった。おばあちゃんのその気持ちを軽くしたかったからとっさについた嘘だった。否、100%嘘じゃない。私は、そう思いたかった。今はそう思えないけど、そう思える自分でいたかったのだ。だからとっさに嘘をついた。嘘だと思いたくないけど、本心ではなかったからあれは嘘ではある。若いほうが綺麗だ。分かりやすく綺麗だ。当時はそう思っていたし、今もそれは拭いきれない。

おとな公演

先日かつての演劇仲間とのBBQで久々に会った荒川くんが脚本を書く、と伺ったので、おとな公演を観に行ってきた。何を隠そう、私は大学卒業時に出演させてもらった「劇団ハーベイ・スランフェンバーガーのみる夢」旗揚げ前夜公演の出演者なのである(えっへん)
「劇団ハーベイ・スランフェンバーガーのみる夢」|2009年に東京大学駒場キャンパスにて旗揚げ前夜公演。以降、短編長編合わせ、12回の公演を打つ。
え、12回も公演してたのか!素晴らしいな…公式ページのリンク切れてるな…大学時代に熱中した演じるということについては、どこかでお話するとして、そうです、おとな公演の話でした。
おとな公演とは? ステージから、日本のおとなの元気な姿を発信したい!
ストーリーも、ダンサーも、50歳以上が主役の新しいジャンルの舞台です。
集まった100人のおとながつくる、感動的な舞台を是非観に来てください。
上記のコンセプトの公演。プロの役者とシニアなダンサーのコラボレーションというものだった。1日のみ限定の公演。約束されたような大団円。プロではない達の動きはモサモサしていることは覚悟しないといけないなと思った。と同時に、大学時代の演劇仲間の発言を思い出した。「演劇は人生の積み重ねで出来る表現もあるのだから、おばあちゃんになったらまたやればいいのよ」

ストーリーと人生と

私は大学を卒業してから、演劇と他の事との両立なんてとてもじゃないけど不可能だなと思って、観劇に徹している。真面目に作品に携わろうとしたら、作品と作品をともにつくる人たちに対して心を抉るような向き合い方が必要だから。それに大学の3年間で悟った自らの演者としての幅の狭さはやるほど感じていた。そして徹しているというほど観に行ってすらいない。 普段の仕事が忙しくて、子どもも小さいうちは本業と家庭を大事にするだけで正直手一杯だ。え、自分語りに偏っているって?いえいえ、そんな自分の姿がサラリーマンの演者と重なったんです。「しがないサラリーマン」(と自分では思っているサラリーマン)とロックスターの友達。ロックスターの友達は彼のステージで、彼は素晴らしい奴だと紹介する。リーマンは、今の自分を紹介されたことが、最悪だという。そんな親友と昔喧嘩別れしたことが心残りで成仏しないロックスター。ロックスター役の役者さんが、ロックスターらしくない出で立ちであったのにもかかわらず、彼が出てくれば絶対におもしろいという圧倒的な存在感で、サラリーマンを引っ張っていく。途中で死んで幽霊になっても、あっけらかんと引っ張っていく。
ストーリーとしては、サイトにあるように、ストーリー2!の終活セミナーに集まった男女の墓パートナーを探す話と、ストーリー3!の大好きなオムレツを食べない宣言した少女花子ちゃんの素朴な疑問から思わぬ展開でそれぞれが繋がっていきます。お母さんと喧嘩をした花子ちゃんは家出をして、迷子になっているのを、幽霊ロックスターが連れてくるのですが、その花子ちゃんとリーマンの交流が良いのです。「しがないリーマンと思っているのは、誰かに言われたから?」「自分で思っているだけだ」人の人生にはその人の価値がある、ことを暗に示している。ストーリー2の展開は驚くほどの大団円で、予想通りだなぁという感じで、ストーリー3は子連れには辛い展開で、泣かされてしまった。その後のストーリーは呆れるほど清々しい大団円。拍手喝采。

おとなダンサーズ

おとなダンサーズは、エネルギッシュな方々で、動きに無駄があるのが、かえって良かった。ある種自分があるから、ふとした動きの端々にその人らしさが滲み出て、それは無駄ではあるのだが、魅力でもあるのだ。特徴とでもいえばいいのか。若者のの場合、それはあきらかにあるべき姿に対して統一できなかった無駄でそれは削ぎ落とすべき部分なのだが、シニアの方がそれをやると、はみ出た部分はむしろ魅力にさえ映る。そうした視点でとらえると、一律な動きが要求されるファンの声援やわざとらしい同調の動きは彼らの魅力を十分に引き出せていなかったようにも思った。もっと彼ら彼女らに自由に動いてもらったほうがおもしろいと思う。変なアドリブが出てもOKくらいに動いてプロの役者がそれを吸収するくらいの遊びがあっていい。そしてアンケートにも書いたが、プロのダンサーによるオムレツダンスは不要だ。おとなダンサーズで徹頭徹尾踊ってもらうことに、人間臭さを出したほうが良い。

嘘からのすこしばかりの脱却

まわりくどい表現になったけれども、私はわたしのついた嘘に対して、嘘ではない部分を少し増やせた気がした。歳を重ねるとその人らしさがよりにじみ出る、そしてそれはきっと美しいものだ。というか美しいと思える感性をもちたい。今回の公演ではそう思えたことが私にとってに大きな収穫だった。

その他もろもろ

いつも黒とネオンみたいに削ぎ落とした脚本や演出をする荒川氏が色彩豊かな大団円を書いたのは意外だった。制約が大きい中で求められているものは十分に表現されたのではないかと思う。序盤の「自分の人生は自分で決めろ、と決めつける教師の言葉が大嫌いだった」的なセリフ、大好きだ。次の作品はめちゃめちゃ暗くしたい、ということだったので楽しみにしている。求められるものなんか無視して自分のやりたいこと詰め込んで観客なんて引き離してほしい(笑)
どうでもいいけど、子どもが寝付いてから記事を書いていたら睡眠不足になったのか咳が止まらない。観劇に徹する日々はまだまだ続く。