2019年9月15日日曜日

観劇日記 -- 第一回おとな公演 「踊れ!人生があるうちに。」

同じ内容をnote.muにも載せています。

昔ついた嘘

昔ついた嘘を思い出した。あれは、教育実習の一環で介護の体験をしていたときのことだ。あるおばあさんから「こんな汚い年寄りの世話をさせて申し訳ない」と言われたときに「歳を重ねた方はその方しか出せない美しさがあると思います」と答えたことだ。白状すると、100%気持ちがある言葉じゃなかった。おばあちゃんのその気持ちを軽くしたかったからとっさについた嘘だった。否、100%嘘じゃない。私は、そう思いたかった。今はそう思えないけど、そう思える自分でいたかったのだ。だからとっさに嘘をついた。嘘だと思いたくないけど、本心ではなかったからあれは嘘ではある。若いほうが綺麗だ。分かりやすく綺麗だ。当時はそう思っていたし、今もそれは拭いきれない。

おとな公演

先日かつての演劇仲間とのBBQで久々に会った荒川くんが脚本を書く、と伺ったので、おとな公演を観に行ってきた。何を隠そう、私は大学卒業時に出演させてもらった「劇団ハーベイ・スランフェンバーガーのみる夢」旗揚げ前夜公演の出演者なのである(えっへん)
「劇団ハーベイ・スランフェンバーガーのみる夢」|2009年に東京大学駒場キャンパスにて旗揚げ前夜公演。以降、短編長編合わせ、12回の公演を打つ。
え、12回も公演してたのか!素晴らしいな…公式ページのリンク切れてるな…大学時代に熱中した演じるということについては、どこかでお話するとして、そうです、おとな公演の話でした。
おとな公演とは? ステージから、日本のおとなの元気な姿を発信したい!
ストーリーも、ダンサーも、50歳以上が主役の新しいジャンルの舞台です。
集まった100人のおとながつくる、感動的な舞台を是非観に来てください。
上記のコンセプトの公演。プロの役者とシニアなダンサーのコラボレーションというものだった。1日のみ限定の公演。約束されたような大団円。プロではない達の動きはモサモサしていることは覚悟しないといけないなと思った。と同時に、大学時代の演劇仲間の発言を思い出した。「演劇は人生の積み重ねで出来る表現もあるのだから、おばあちゃんになったらまたやればいいのよ」

ストーリーと人生と

私は大学を卒業してから、演劇と他の事との両立なんてとてもじゃないけど不可能だなと思って、観劇に徹している。真面目に作品に携わろうとしたら、作品と作品をともにつくる人たちに対して心を抉るような向き合い方が必要だから。それに大学の3年間で悟った自らの演者としての幅の狭さはやるほど感じていた。そして徹しているというほど観に行ってすらいない。 普段の仕事が忙しくて、子どもも小さいうちは本業と家庭を大事にするだけで正直手一杯だ。え、自分語りに偏っているって?いえいえ、そんな自分の姿がサラリーマンの演者と重なったんです。「しがないサラリーマン」(と自分では思っているサラリーマン)とロックスターの友達。ロックスターの友達は彼のステージで、彼は素晴らしい奴だと紹介する。リーマンは、今の自分を紹介されたことが、最悪だという。そんな親友と昔喧嘩別れしたことが心残りで成仏しないロックスター。ロックスター役の役者さんが、ロックスターらしくない出で立ちであったのにもかかわらず、彼が出てくれば絶対におもしろいという圧倒的な存在感で、サラリーマンを引っ張っていく。途中で死んで幽霊になっても、あっけらかんと引っ張っていく。
ストーリーとしては、サイトにあるように、ストーリー2!の終活セミナーに集まった男女の墓パートナーを探す話と、ストーリー3!の大好きなオムレツを食べない宣言した少女花子ちゃんの素朴な疑問から思わぬ展開でそれぞれが繋がっていきます。お母さんと喧嘩をした花子ちゃんは家出をして、迷子になっているのを、幽霊ロックスターが連れてくるのですが、その花子ちゃんとリーマンの交流が良いのです。「しがないリーマンと思っているのは、誰かに言われたから?」「自分で思っているだけだ」人の人生にはその人の価値がある、ことを暗に示している。ストーリー2の展開は驚くほどの大団円で、予想通りだなぁという感じで、ストーリー3は子連れには辛い展開で、泣かされてしまった。その後のストーリーは呆れるほど清々しい大団円。拍手喝采。

おとなダンサーズ

おとなダンサーズは、エネルギッシュな方々で、動きに無駄があるのが、かえって良かった。ある種自分があるから、ふとした動きの端々にその人らしさが滲み出て、それは無駄ではあるのだが、魅力でもあるのだ。特徴とでもいえばいいのか。若者のの場合、それはあきらかにあるべき姿に対して統一できなかった無駄でそれは削ぎ落とすべき部分なのだが、シニアの方がそれをやると、はみ出た部分はむしろ魅力にさえ映る。そうした視点でとらえると、一律な動きが要求されるファンの声援やわざとらしい同調の動きは彼らの魅力を十分に引き出せていなかったようにも思った。もっと彼ら彼女らに自由に動いてもらったほうがおもしろいと思う。変なアドリブが出てもOKくらいに動いてプロの役者がそれを吸収するくらいの遊びがあっていい。そしてアンケートにも書いたが、プロのダンサーによるオムレツダンスは不要だ。おとなダンサーズで徹頭徹尾踊ってもらうことに、人間臭さを出したほうが良い。

嘘からのすこしばかりの脱却

まわりくどい表現になったけれども、私はわたしのついた嘘に対して、嘘ではない部分を少し増やせた気がした。歳を重ねるとその人らしさがよりにじみ出る、そしてそれはきっと美しいものだ。というか美しいと思える感性をもちたい。今回の公演ではそう思えたことが私にとってに大きな収穫だった。

その他もろもろ

いつも黒とネオンみたいに削ぎ落とした脚本や演出をする荒川氏が色彩豊かな大団円を書いたのは意外だった。制約が大きい中で求められているものは十分に表現されたのではないかと思う。序盤の「自分の人生は自分で決めろ、と決めつける教師の言葉が大嫌いだった」的なセリフ、大好きだ。次の作品はめちゃめちゃ暗くしたい、ということだったので楽しみにしている。求められるものなんか無視して自分のやりたいこと詰め込んで観客なんて引き離してほしい(笑)
どうでもいいけど、子どもが寝付いてから記事を書いていたら睡眠不足になったのか咳が止まらない。観劇に徹する日々はまだまだ続く。

2018年10月29日月曜日

HPVワクチン論文(名古屋スタディ)の概要と考察

はじめに

子宮頸がん予防ワクチン(HPVワクチン)の副反応に関連する調査について、名古屋市で実施された調査に関する論文が2018年2月に出されていたので、紹介します。(1番今の職に近いエントリですが、個人的に知りたかったことを調べただけなので、所属先とは関係ありません。ただし、もし医療系クラスタ及び疫学クラスタの方が本論文について批判的吟味をされていたら、積極的にコメントして頂ければと思います。)個人的には、自分が子どもを産んだので、将来娘に接種すべきかどうかの判断材料にしたいという思いもありました。

論文は、以下のURLからフリーで閲覧できますので、よろしければ御覧ください。

Suzuki S, Hosono A. No association between HPV vaccine and reported post-vaccination symptoms in Japanese young women: Results of the Nagoya study. Papillomavirus Research. 2018;5:96-103. doi:10.1016/j.pvr.2018.02.002.

論文の概要

本論文の調査は全国子宮頸がんワクチン被害者連絡会 愛知支部から名古屋市長へHPVワクチンの症状調査の依頼があり、
名古屋市立大学で実施されたものです。
本論文の対象者は1994年4月2日~2001年4月1日生まれで、2010年4月1日時点で9~15歳の女子です。匿名の調査票(アンケート)の結果をもとに調査が実施されています。調査票は2015年9月1日に郵送され、2015年11月2日までに返送されたものが対象です。
調査票は公開されているので、以下からご参照ください。
英語版:http://www.med.nagoya-cu.ac.jp/kouei.dir/Questionnaire-eng.pdf

本研究で調査対象となった症状ですが、被害者連絡会愛知支部と著者らが選んだ症状であり、結構特殊な項目(報道されているような慢性的な疼痛等の症状も含まれる)でした。以下調査票で記載されている24項目を掲載します。

1
月経不順
Menstrual irregularity  
2
月経量の異常
Abnormal amounts of menstrual bleeding 
3
関節やからだが痛む
Pain in the joints or other parts of the body  
4
ひどく頭が痛い
Severe headache  
5
身体がだるい
Fatigue  
6
すぐ疲れる
Poor endurance 
7
集中できない
Difficulty concentrating 
8
視野の異常(暗くなる・狭くなるなど)
Abnormal field of vision (darkened, narrowed, etc.) 
9
光を異常にまぶしく感じる
Abnormal sensitivity to light  
10
視力が急に低下した
Sudden vision loss  
11
めまいがする
Dizziness  
12
足が冷たい
Cold feet  
13
なかなか眠れない
Difficulty falling asleep  
14
異常に長く寝てしまう
Abnormally long duration of sleep  
15
皮膚が荒れてきた(湿疹・イボなど)
Skin problems (rashes, warts, etc.)  
16
過呼吸
Hyperventilation  
17
物覚えが悪くなった
Memory decline  
18
簡単な計算ができなくなった
Loss of ability to do simple calculations  
19
簡単な漢字が思い出せなくなった
Loss of ability to remember simple Kanji  
20
身体が自分の意志に反して動く
Involuntary uncontrollable body movement  
21
普通に歩けなくなった
Loss of ability to walk in a normal way
22
杖や車いすが必要になった
Becoming dependent on a walking stick or wheelchair  
23
突然力が抜ける
Sudden loss of strength  
24
手や足に力が入らない
Weakness in the hands and feet  

本論文では、上記24症状の1つ以上の症状とHPVワクチン接種の関連をワクチン接種者 vs 非接種者で全体比較したものを主要解析としています。
また、主要解析の他にサブグループ解析を2つ設けています。
初回に予防接種を受けた年齢により分けたサブグループ解析1と予防接種前に今回対象とした調査の症状が発現していた被験者を除外したサブグループ解析2です。サブグループ解析1では、女性の生年月日と最初の予防接種年齢でカテゴリを分けて、コホートも別に設定しています。
カテゴリとコホート区分は下記の表にまとめてみましたのでご参照ください。なお、論文中にはFig. 1に示されています。
年齢
カテゴリ
生年月日
1
1994年4月2日~1995年4月1日
2
1995年4月2日~1996年4月1日
3
1996年4月2日~1997年4月1日
4
1997年4月2日~1998年4月1日
5
1998年4月2日~1999年4月1日
6
1999年4月2日~2000年4月1日
7
2000年4月2日~2001年4月1日

コホート
年齢カテゴリ
ワクチン初回接種時期
1
カテゴリ1,2
2011
2
カテゴリ3,4
2010
3
カテゴリ4,5
2011
4
カテゴリ5,6
2012
5
カテゴリ6,7
2013

各コホートでは、年齢は2年間ごとにカテゴリを分けていて、論文の記載を参照すると、初回接種の人数が多い年を選択したようです。
また、サブグループ解析2のワクチン接種以前の症状が出ている対象者の除外方法は、Fig. 2に書かれていました。

統計解析では、ロジスティック回帰分析を用いて年齢調整オッズ比で出しています。なお、ワクチンは2価と4価がありますが、認可の時期の関係で2010年と2011年は2価のワクチンが87.8%、2012年と2013年は4価のワクチンが80.0%接種されています。

本調査は先に記載した調査票を用いて郵送にて調査をしていますが、71,177通の調査票に対して、届かなかった217通を除いて30,793通の調査票で回答(43.4%)が得られ、調査に必要な年齢や接種に関するデータが書かれていない947人を除いて、29,846人のアンケート結果が用いられています。

本研究の対象者の生年月日、年齢区分、ワクチン接種状況をカテゴリ別に示した表はこちらです。(論文のTable 1のリンク先となります)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC5887012/table/t0005/?report=objectonly

ワクチンの接種状況の分布と24症状の発生割合についての結果は論文中の表(Table 2)の症状に日本語訳を加えたものを掲載します。(表が大きいので、下記リンク先においておきました。別窓で開いたりしてご参照ください。)

下記の表(Table 3)は主要解析における各症状の接種群と非接種群のオッズ比(年齢調整後)です。和訳のみ追加しています。
有意なオッズ比は太文字で示しています。(こちらも表が大きいので、下記リンク先においておきました。別窓で開いたりしてご参照ください。)

これをみると、有意なオッズ比は病院を受診した場合の"月経不順":1.29(95%信頼区間:1.12–1.49)、"月経量の異常":1.43 (1.13–1.82)、"ひどく頭が痛い":1.19(1.02-1.39)また継続する症状については"月経量の異常"1.41(1.11-1.79)のみです。

また、先に示したサブグループ解析1のコホート別の結果も掲載されていました。なお、コホートの特性の違いについては、下記の表 (Table 4)を引用します。(このサブグループ解析を実施することで患者背景を揃えて比較する目的があったと考えられます。)

Table 4

Characteristics of the five age and immunization year cohorts for subgroup analysis.
Birth period
Cohort 1
Cohort 2
Cohort 3
Cohort 4
Cohort 5
April 2, 1994-April 1, 1996
April 2, 1996-April 1, 1998
April 2, 1997-April 1, 1999
April 2, 1998-April 1, 2000
April 2, 1999-April 1, 2001

Maximum difference of birth date within the cohort
2 years
2 years
2 years
2 years
2 years
First injection (for vaccinated girls only)
2011
2010
2011
2012
2013
Age at the year of first injection
14–17 years old
11–14 years old
11–14 years old
11–14 years old
11–14 years old
Number of vaccinated girls
4973
3296
2800
2605
1002
Number of unvaccinated girls
0924
1115
1923
3298
5799
Total number
5897
4411
4723
5903
6801
Vaccination coverage (%)
84.3%
74.7%
59.3%
44.1%
14.7%
Comparison of age at first injection



Comparison of year of first injection


コホートごとの各症状の接種群と非接種群のオッズ比(年齢調整後)はこちらです(論文中の Table 5に和訳を追加したもの)

コホート4の"突然力が抜ける":1.67(1.03-2.73)コホート5の"物覚えが悪くなった":2.17(1.43-3.30)のみが有意に大きいオッズ比となっています。こちらの表について、論文中では、両症状の関連がないと述べられています。また、ワクチン接種の時期が遅くなるほど1より大きいオッズ比が多くなることについては、最初の接種率が高い頃(第4カテゴリまでは85%以上の高い接種率ですが、第5カテゴリで71.5%、第6カテゴリで51.0%、第7カテゴリで15.0%まで減少しています(参照 Table 1))、ワクチン非接種群の健康状態がそもそも悪い可能性(病者選択バイアス)があること、またワクチン接種に関する否定的意見に対する心理的影響を示唆すると述べられています。

また、サブグループ解析2(今回対象とした調査の症状が予防接種前に発現していた被験者を除外したもの)の結果も以下に掲載されていました。(論文中のTable 6に和訳を追加したもの)

病院を受診した場合のオッズ比が主解析(Table 3)より大きくなっていることが分かります。このオッズ比の大きさについては、Discussionにおいて、理由A:医師の診断や治療が必要であった、理由B:副反応が心配であることが理由で受診した、理由C:ワクチン接種の印象が強かったので症状が無意識にワクチン接種後になったがあると論じてられています。また、オッズ比が大きい6.15(簡単な漢字が思い出せなくなった)と4.95(簡単な計算ができなくなった)はワクチン非接種群が2例のみのため、ロバストな結果ではないと述べています。また病院の受診で大きいオッズ比をしめしていても、継続する症状では大きくなっていないことも書かれていました。

これらの結果を踏まえて論文中では、HPVワクチンは24の報告された症状の発現と有意に関連せず、ワクチンと報告された症状または有害事象との因果関係はないとまとめています。

私の視点

論文の記載からいうと、報道されていたような慢性的な疼痛等の症状は、ワクチン接種とは関係ないという論調で、読む限りはそうだろうなという印象です。

公平にデータを見るならば除外条件を適用させたサブグループ解析2を主解析としたほうが適切なようにも思い、病院受診(調査票上で"病院を受診した"の区分を選択した場合の結果)の場合のオッズ比が大きいこともやや気になります。反対派の人たちが、Discussionでの理由の考察が恣意的ではないかと書いている点については、私も少し因果関係が分からないことに対して、副作用なしという結論ありきで調査したのではないかと捉えられるくらいには、恣意的かなという印象はうけます。

しかしDiscussionにもう一つ書かれていた、病院受診のオッズ比が大きいものについては、継続する症状でも大きくない場合、”病院の受診が症状の重症度によって引き起こされたのではなく、アンケートの回答に対する医学的アドバイスやワクチン接種の効果を求める態度が変化したことを示唆”、という点には同意です(病院の受診が必要であっても継続して症状が出ていなければ一時的なものだと思われるため)。
そうした点から考えると、もっとも注目すべきものをサブグループ解析2の継続する症状とみると、オッズ比が大きいものが月経不順(1.18)と月経量の異常(1.54)となります。これらの症状は、報道されていた症状とは無関係であり、またこの程度のオッズ比について、薬害である断定できるほどではないかなと思います。(←オッズ比の具体的な数値と薬害については、他の疫学的研究の副作用の論文から得た私の感覚的なものなので、良い資料をご存知の方がいたら教えてください)

また、反対派の方々が述べている年齢調整オッズ比については、ワクチンの疫学研究で普通に用いられているようですが(インフルエンザの研究でも記載を見つけました(例:Riley, Steven, et al. "Epidemiological characteristics of 2009 (H1N1) pandemic influenza based on paired sera from a longitudinal community cohort study." PLoS medicine 8.6 (2011): e1000442.)お年寄りと若い人のような例ではなく、今回のような低年齢の場合の使用方法はどうするのが適切なのか、ということをご存知の方がいたら教えてください。今の所、ロジスティック回帰を用いて年齢の調整しているとはいえ、粗データでの副反応割合が接種群と非接種群でかなり近いので、反対派の方々が息を荒くして、妥当性がないと言い張る程ではないかなと感じています。

他の研究や現状も踏まえどう行動するか

さて、振り出しに戻ります。今回調べてみた理由の1つは、自分の娘が生まれたので将来HPVワクチンの予防接種を受けさせるかどうか判断材料としたいという点でした。この結果を読む限りではベネフィットのほうが大きいので受けさせるかなと思います。

なぜなら今回の論文で示されたワクチンの副反応の割合に対して、子宮頸がんになる割合の方が高いと思われるからです。今回の調査では、オッズ比を見ても継続的に重篤な症状があるのかという観点からみると薬害といえるほどの症状は無く、他方で子宮頸がんは一生のうち1%以上(一生のうちにおよそ74人にひとり)の方が診断されており、(参照:子宮頸がんとは?|知っておきたいがん検診 - 日本医師会)ワクチンはこれを半数程度は抑えられるからです(参照:子宮頸がん予防ワクチンQ&A|厚生労働省
また、HPVワクチン接種歴のない青少年においても、「HPVワクチン接種後に生じたとされる症状と同様の多様な症状」を有する者が一定数存在することが分かってきています。(参照:厚生労働科学研究費補助金(新興・再興感染症及び予防接種政策推進研究事業)総括研究報告書ー子宮頸がんワクチンの有効性と安全性の評価に関する疫学研究)(なお、本研究ではワクチン接種と非接種の有訴率も比較していますが、母集団が異なるので単純比較は出来ないようです。引き続き全国疫学調査も行われているようなので次は明確な結果が出るかもしれません。)

子宮頸がんワクチンの問題について最初聞いたとき、時間軸があり、犠牲者が異なる問題をどう捉えるのか悩ましいと思っていたのですが、以上の状況を踏まえると接種の妥当性の方が高いかなと思います。

と理性では分かっているのですが、報道の力というのは本当に大きくて、あの立てなくなってしまったであるとか漢字が書けなくなってしまった少女の映像が脳裏をよぎり、一度ネガティブな印象がついてしまったものについては、それを払拭することが簡単なことではないと身をもって感じている次第です。これが子を持つ親の心なんだろうなぁと。

また、マスで見た場合と個別の案件は区別して考えなければならないという視点もあります。

最近の医療関連のニュースについて思うこと

日本の報道をみていると、エビデンスが不足している報道が多すぎるなと思います。"教科書に書いてあることを信じない"という本庶先生の言葉もあり、論文に書かれていることすら全てを信じられないという世界ではありますが(実際今回の論文も本当のところは自分で手を動かさないと理解できないとは思っています)、せめて一次ソース(論文の出処)を示すだけでもずいぶん違うと思います。

ソースが無いものは特に、誰がどんな意図で発言したかを精査する必要があります。医療従事者が書いている場合でも、医療従事者はその資格を取るためのステップを経たというだけで(それは確かに尊重されるべき過去の事実ですが)その発言の妥当性は別途判断が必要です。

また論文がある場合にも、論文にもランクがありますから、信頼度が高い論文誌、通すのが難しい論文誌を鑑みて、医療関係者で論文誌をランク付けして、掲載論文誌の信用度の星マークでも五つ星でつけてあげれば、医療関係の報道や記事の信頼性がずいぶん変わるはずです(この医療関係者を誰にするかという問題は別途ありますが)。星の数が変動するならば、定期的にアップデートして、コードを貼り付ければ自動的に星の数が変わるようにしてしまえば良いでしょう。

上記も私のただの思いつきですが、役に立ちそうな記載が含まれていれば幸いです。コメント等ありましたら、ブログ下に直接ご記載頂くか、宣伝元のSNSの投稿にコメントください。


2018年9月12日水曜日

身近な戦争と記憶と記録と

陸軍前橋飛行場 私たちの村も戦場だった
読了した。

正直厚くて読みにくい本である。500ページ近くあり、内容も物理的にもずっしりと重かった。
中学時代の恩師(編著者である鈴木越夫先生は私の中学時代の恩師(校長先生)でした)の本でなければ、きっと読まなかったであろうし、読み切ることも無かっただろう。
しかし、読んで良かった。とても良かった。

私は、地元の歴史というものに興味を持てない子どもだった。そもそも歴史が1番苦手な科目だったのに地元の歴史など興味を持てようはずもない。
それから、なんだか土臭いものが好きじゃなかった。もっと明るくてキラキラしたものや未来があるものが好きだった。(今も好きだ)
しかし、歳を重ねるにつれ自覚した。過去があり、はじめて現在と未来があることを。
過去を知り整理することは、よりよい未来を築くために必要不可欠なことである。
これは分野を問わない真実である。

前置きが長くなった。本書は戦争末期に存在した飛行場を中心とした戦争時代の青少年の体験記である。

陸軍前橋飛行場について、残念ながらどうやら日本では戦争に関する公的な記録の多くが失われているらしい。本書中でも市町村誌、学校で保存されていた資料が参照されているが、戦時中の資料の多くは焼却処分されたらしく、本書中でも記録として残っている資料は極めて少ないと記載されている。
公的な記録が無くなった歴史はどうなるか、私的な記録と、生きている人の記憶に頼るしか無い。
本書は、私的に残されていた記録と、本書作成に携わられた方の記憶をもとに作成された体験談をまとめているものである。この本を読み進めると、それぞれの体験に重複する点があることが分かってくる。
本書の素晴らしいところは、それぞれの体験談が前橋飛行場にフォーカスしているので、徐々に飛行場がどのようなものだったのか、立体的に浮かび上がってくるところである。

詳細は読んでいただければと思うが、印象的な記載を3つ取り上げたいと思う。

まずは、特攻隊と前橋飛行場周辺の人々との関わりである。
特攻隊についてはご存知のかたも多いと思うが、敵艦に飛行機で体当たりで突っ込み多くの方が亡くなった特別攻撃隊のことだ。
前橋飛行場では、沖縄戦に行く前の特攻兵士たちが、練習のために前橋飛行場周辺に滞在していたらしい。彼らは、飛行場周辺の民家に短期下宿し、地元の人々と交流していた。これは彼らに家庭的な環境を与えたいという軍部の配慮では、との記載もあった。彼らはあたたかな交流をする。しかし、死を覚悟した若者である。彼らは「出撃します」と突然言い残して下宿先を去っていく。下宿先の住民は彼らを見送り、兵士が乗った飛行機は別れを告げるためにお世話になった民家の上で旋回し、翼を揺らしたとの記載が幾つもある。お世話になった人々へプレゼントを渡す兵士、自分の先祖には直接手を合わせられないからと下宿先のお仏壇に手を合わせる兵士、それらの記憶は下宿先の方々にとっても印象的だったのだろう。詳細な記載が複数あった。

次に印象的だったのは、戦争が終わるその日まで飛行場周辺も爆撃されていたことだ。前橋が爆撃され、焼け野原になったとは知らなかった。当時1日で500人以上も亡くなったらしい。地元の小学校が爆撃されていたとは知らなかった。終戦当日まで攻撃されていたとは知らなかった。私の出身地は福田赳夫元首相の生誕地であり、福田康夫元首相の疎開先である。疎開先でもあった地域だから、当然戦争の被害にあうような地域ではないと思っていた。

体験談の多くには、戦争は決してしてはならないと書かれている。これらの体験を時代を現代に変えて身近な地域で起こったと想像してみよう。自分の家が焼けて無くなったと考える、自分の親や兄弟が戦争に行って帰ってこないと考える。友人が戦争で亡くなったと考える。ホームステイで留学生を受け入れて仲良くなったのに、彼らは死にに行くと考える。こう捉え直すと戦争の凄まじい不条理が想像できるのではないかと思う。

最後に、この体験談は70代~90代の現在のお年寄り、すなわち戦争時代には子ども~青年期の若者が中心である。本書を読むと戦争末期には、通常の生活はなくなり、学校の勉強はほとんど機能せず、戦争のために働かされていることが分かる。(余談だが勤労なのでお給料も支払われて、あとで学校経由でもらっていたりする)そして戦後は、それまでお国のために身を捧げる覚悟で働いていたのにもかかわらず、新たな道且つ新たな価値観で生きることを強要されるのだ。体験談を読むと、それに対して少なからず戸惑いを覚えていたこと、そして青春時代を戦争に捧げなければならなかったことに対しての憤りや埋められない穴のようなものを感じる。

私は祖父母が存命のときにこれらの話を聞いておきたかったと思った。しかし、本人にとって辛い記憶であれば、それはあえて聞かないと語れないものであったに違いない。鈴木先生も本書内で先生の親世代からは戦争の話を聞かなかったと書かれていた。本書はそうした意味でも価値が高いと思う。

本書は最近映画化されたのだが、東京での映画公開時に開催されたトークイベントにおいて、本書を映画化した飯塚俊男監督から印象深い発言があった。地元での映画の上映後に映画を観た人に感想を聞くと、戦争を体験した方の場合、私もこのような体験をしたとお話してくださるらしい。これは非常に重要なことだと思う。あと30年もすれば第二次世界大戦の記憶を語れる人が亡くなってしまうだろうから、当時の貴重な記憶は可能な限り次代に伝えるべきなのだ。そして特定の時代を生き抜いた人々という意味では、どの世代の人々も貴重な時代を生きていると言ってよいのだと思う。過去の知識は未来への財産に変換すべきなのだ。

ちなみに、映画はかなり書籍からアレンジされている(エピソードが多すぎてすべてを映画化するのは困難だったとも思う)。映画版では住谷修さんが独自に当時の記録を書き続けた「村日記」にフォーカスがされている。(原作でも重要な資料として書かれているが割かれているページ数はそこまで多くない)
そして特筆すべき点として、映画において独自に追加され強調されている部分としては公文書管理の重要性への言及があった。映像作品を作るためには体験談を書かれた方のインタビューや現在の様子を撮影するだけでは資料が足りない。そうしたときにアメリカ国立公文書記録管理局に行くと、地元地域では失われた記録が、あっさりと出てくるのだそうだ。前橋という日本の一地域であっても多くの写真や資料がきちんと保存されている。福田康夫元首相は、こうした状況を30年以上前に気が付き、公文書管理法の制定につながったらしい。こちらに記載があった。https://globe.asahi.com/article/11534844

映画自体の表現方法や展開には、唐突すぎてついていけないシーンも多くあったが、
記録を整理して保存する意義、という点で公文書管理に言及するというまとめは非常に印象的だった。
個々人の記録と記憶、そして公の記録。自分が未来に何を整理してどう残すべきかということを考える上でも示唆に富んだ作品であった。
つまり目下の生活や仕事の記憶や記録は、未来の人類から考えたときにどう整理して保存すべきかという視点を持つ、ということである。
仕事の記憶や記録は公の記録、目下の生活は家族や友人のための記録、ともに子孫のための記録ともいえよう。

前橋では、前橋シネマハウスにてロングラン上映されているので、近郊の方はぜひ観に行ってほしい。
東京でも、今後9月17日と10月3日に新宿K's cinemaで上映が予定されているので、興味のある方はぜひご覧頂きたい。

特に旧群馬町地域及び前橋、高崎の方々はもう課題図書にして良いのではないかぐらいの書籍です。

群馬の書店には並んでいるらしいので群馬の旅行のお供にぜひ!

2018年8月31日金曜日

外はある

#8月31日の夜に」このハッシュタグを見て、書かずにはいられなかった。
(note.muにも前半は同じ記事を載せています)

忘れもしない中学の頃の思い出。苦しくもがいていたあの日。
悩める10代のために、私には何ができるだろう?そう思ったときに、中学時代に書いた英語の暗唱大会の原稿が出てきた。もがきの中学最後にこれを全校生徒に発表する機会があった。中学生にしては、難しい訳になってしまったので、全校生徒に発表したあの日には、中学生には伝わらなかったであろう内容。翻訳前の日本語の原稿も出てきたので、載せてみる。あなたを助ける何かが含まれていたら嬉しい。

私の貴重な体験

私は中学校に入学し、毎日友達と学校の生活について話し楽しんでいました。
しかし、突然この幸せは変化してしまいました。
その朝、私が学校に行くと私の座るべき場所に、机といすがありませんでした。私は「どうしたのか」と思い、急いで自分の定められた場所に、机と椅子を戻しました。仲良く話した友は、知らないふりをしていました。
私が学校に行き、「おはよう」と声をかけても、返事が返ってこない日々が始まりました。先生に相談をし、友達と話し合い、楽しい生活が戻ると思っていました。
しかし次々と悲しいことが起こりました。
校庭で一人歩いていると背後から蹴られるボール
私を転ばせようと、前から出てくる脚
私が悲しそうな顔をすると、どんどん危険がやってきました。
暗く悲しい日々でした。
先生は一生懸命に注意をしてくれましたがその時だけで、また同じことが繰り返されました。
学校の送り迎えは両親がして、私の安全を守ることになりました。
私は対策を考えました。
できるだけ一人で行動しない。
背後には注意する。
やがて私はとても機敏になりました。
私を蹴ろうとして、転んだ人の姿を見ることもありました。
やがてこのいじめはなくなり、私に平和が戻ってきました。
けれど、このいじめはまだ本当は終わっていませんでした。
それは、二学期の初めのころでした。
私は、いつものようにクラブを終えて帰ろうとしました。
すると、なんだか机がチョークの粉で汚れているのです。
ふと、机の横にかけてあった紺の絵の具ケースを見ました。
ケースにはチョークでこう書かれていました、
「死ね」
私は、ふるえがとまりませんでした
やっとの思いでこのケースを先生に渡し帰宅しました。
私は一人ベッドの中で泣きました。
それから思いました。
「死ね」と書かれても、私にはまだたくさんやることがある。
友だちや家族が悲しむ。
私は死ぬわけにはいかない、と思いました。
翌朝、担任の先生が心配して私の家へ来てくれました。
その日の夜、母はこう話してくれました。「人は傷ついて、優しく強い心が生まれる。」
父は「学校は勉強と知識を身につけるだけでなく、性格の弱点を改める、修業の場でもある」と話してくれました。
両親の深い愛が伝わり、私の心はあたたかくなりました。
私は、中1の夏、アメリカの夏に3週間ホームステイをしました。
2年の夏にはオーストラリアのホームステイに10日間行きました。
アメリカの家族は、お父さんはアメリカ人、お母さんはフィリピン人、娘さんの夫はメキシコ人でした。
一人ひとりが独立し、認めあっていました。
日本人の私を笑顔で迎え、家族として充実した日を過ごすことができました。
オーストラリアのホストファミリーも、家族の一員として洗濯や料理を一緒にし、とても愛してくれました。
今でも、マオリ元気?とメールが届きます。
私はこの家族の愛を感じ、今生きています。
そして、私の家族の愛も、もちろんです。
やがて、私へのいじめは、なくなりました。
人には個性があります。
明るく大声で話す人、静かに読書するのが好きな人、運動が好きな人、
体の大きい人、小さい人
「いじめ」という差別は、ある意味愚かな人がやることだと思います。
そして絶対にしてはいけないことです。
私は今、自分の置かれた立場を私の貴重な体験と考えます。
なぜならこの体験から、人と人との関わりを深く考えることが出来たからです。
これから私が人間として生きていくとき、人間として1番大切なことは、一人ひとりを尊重することだと思います。
悲しい出来事も、嬉しい出来事も、私の成長の肥やしです。
世界中の人々と話し、広い心を持った人間になりたい。
地球上の一人として、優しい深い心を持って、私は国際人となることを目標にしっかりと羽を広げます。


ここまでが当時の原稿である。明日が憂鬱な悩める10代へ、30代に足を踏み入れた私がこの原稿を読み直して気がついたことが1つあった。
外はある、ということである。今のあなたには、今いる世界が全てかもしれない。しかし、それは1つの閉じた場所に過ぎない。
外はかならずある。環境が変われば当然、新たな場にあなたは身をおくことになるし、あなたが飛び出せば外はある、飛び込まなくてものぞき見する外でもいい。私が中学時代に悩みつつも、心を保つことが出来た理由の一つは、外の世界を知っていたからだ。学校とは違う習い事、塾、ホームステイ先の国、そしてそこにいる人々とのつながり。
今いる閉じた場所で評価されたり、いじめられるのは、あくまで今の場所だから、と分かっていたから、落ち込みすぎずにすんだと思う。
外の世界があなたにとって良い世界かどうかは出てみないとわからないが、視点が変われば気持ちを楽に持てる世界があることは確かだ。うまくハマればあなたにとって信じられないくらい楽しい世界も、そして少なくともあたたかい気持ちがあふれる人がいる世界はある。
今、あなたが理不尽なことをされていて辛いならば、そんな世界はろくな世界じゃない。もしいまあなたが死にたいと思っていたら、"たのしみ"が宝のように含まれるこの世を、見ずに感じずに夢中にならずに、この世を去る事はあまりにももったいないし、私はあなたがこの世を去る事自体が、全世界にとっての損失であるから、それがもったいないと思う。
インターネットが普及して外の世界を覗きやすくなった。だから私はこの文章を覗いたあなたに声を大にして届けたい。外はある。

~追記~
英語版の原稿について、修正が完了したため以下に掲載します。

My Valuable Experience

I entered junior high school and enjoyed talking with my friends about school life every day.
However, this happiness changed suddenly.
One day I went to school in the morning, my desk and chair were not in the place where I usually sat. I thought "What's the matter?", but I put back my desk and chair in a hurry. A friend I could talk well said that they didn't know what happened.

From that day, even if I went to school and said, "Good morning", nobody returned my greeting. I consulted with my teacher, talked to my friends, and I thought that my happy life would come back to the way it was.

However, sad things happened to me one after another. For example, a ball was kicked from behind and hit me when I was walking alone in the schoolyard.
I was knocked down by a foot trip. When I showed a rueful look on my face, dangers came one after another. These were my sad and dark days. My teacher scolded them, but the same things were repeated again and again. My parents started to drive me to and from school to help keep me safe.

I considered measures. I didn't act independently. I would watch my back. Soon, I became very agile. I saw the figure of a fallen person trying to kick me. Soon, this bullying stopped and the peace seemed to return.

But bullying was not really over. It was at the beginning of the second term, and I tried to go home after finishing my club activities as usual. Then my desk somehow became dirty with chalk powder. I found my navy paint case hanging from my desk. "Die", which was written on the case with chalk. I could not stop trembling. I passed the case to my teacher with great difficulty, and I went home. I cried alone in my bed. Then, I thought about things. Even though they told me to "die", I still have a lot of things to do. My friends and my family would be sad. I thought I had to save my own life.

The next morning, my teacher was worried about me and so he came to my house. That night, my mother told me, " People get hurt, then a strong and gentle heart is born." My father said, "School is not only the place to study and get knowledge but is also a place to practice changing the weakness of your character." My feelings became warm because I could feel some deep affection for me.

I then did a homestay in the U.S. for three weeks during the 1st grade of junior high school. I visited Australia on a homestay for ten days in the 2nd grade. In my American host family, the father is American, the mother is from the Philippines and their daughter's husband is from Mexico. They are independent and accept each other. They accepted me with a smile as apart of their family and I had the time of my life with them. My Australian host family also laundered and cooked together as a member of the family and loved me very much. Even now, I get an e-mail saying "Hi, Maori!" I feel this family's love and I am alive now. Of course, I feel my family's love too.

Soon, the bullying to me stopped.

People have individuality. Bright and loudspeaker, people who quietly like to read, people who like exercise, big people, small people, etc...

I think that discrimination called "bullying" is something a foolish person does in a way. Therefore, we must not discriminate. I regard my position as the result of my valuable experience now. Because this experience gave me an opportunity to think deeply about the interpersonal relationship.

As I live my life from now, I think the most important thing is to respect each other. Both sad events and delightful events helped me grow up.

I want to talk to people all over the world and become a person with a broad mind. I will stretch my wings with the aim of becoming an international person with a deep and gentle heart.

2017年10月2日月曜日

観劇 -- 嘴細(立ツ鳥会議)

大人になればなるほど、色々なことに思いを馳せてしまって、率直な意見を言いにくくなるなと気づく。
それは、思いやりと尊重という皮を被った、不誠実のような気もする。

立ツ鳥会議、嘴細、観てきた。

今回は更にテーマが難解で掴めていないと思う。
この作品自体は、植松氏が数年来あたためてきたもの、とあるので
シンプルでストレートなものではないのだと思う。(以下ネタバレあり)

共依存なのか、不条理なのか、何なのか。

悩んでいるときは他の方の意見も参考にしよう!(カンニング!?)twitterで検索。

https://twitter.com/auetaque/status/914138116444758017
"
立ツ鳥会議 『嘴細』意外な相手に寄って集ってつつかれる悲惨な状態は、国の近い将来を予知するかの様で、諦めとはまた違う何となくな受け止めをしてるのが現代人だなと思う。抉られた心を前に向けようと踏み出した者がいたのもいい。初台という偉い側の者が慇懃なピエロ風、上手い収まり。
@auetaque
"

なるほど、弱者やマイノリティへの視線と行動が確かにあった。
クラスの人気者であった咲ちゃんが、目を執拗に狙うカラスに狙われて失明して、外に出られなくなる。
これは、最近の有名人が、問題を起こして、復帰しにくくなっている傾向とも似ている。
特定の人の行動を槍玉に挙げて、その人がそれまでしてきた成果や、
その人がやり遂げてくれたかもしれないことまでも、
根こそぎ奪ってしまうかもしれないようなそのスタイルは、
近年の報道のあり方や、報道が示す世間のあり方の一端であろう。

咲ちゃんが襲われていることを目撃しつつも、助けられなかった同級生3人
(小山内さん、横芝さん、光井さん)が、ずっと咲ちゃんと
そのお兄さんが住む部屋に手伝いに行っている。咲ちゃんは事件以来、
外から出られない、小さな世界を形成している。

もう一つのテーマのマイノリティへの視線、LGBTが含まれている。
同級生3人のうち、小山内さんと横芝さんがゲイであるという設定になっている。
横芝さんはゲイであるが、小山内さんは人として横芝さんが好きであっても
ストレートであることを自覚してしまう。咲ちゃんが襲われた日、
横芝さんは小山内さんを守ったから咲ちゃんは襲われてしまう。
そうしてまでも好きだから守ったのに、小山内さんが自分を
愛してはいないことを横芝さんは知ってしまう。
社会のマジョリティであろう、男の子が女の子を守る行為をすれば
咲ちゃんは守れたはずだと、横芝さんは苦しみ続けていた。
小山内さんが横芝さんを拒絶するようになってから、横芝さんは
小さな世界から去ることにするのだ。

そして、重要な他者として、咲ちゃんのお兄さんの同級生の橘さんと初台さんがいる。
橘さんは、理解のあるポジティブな人で、
普通のドラマだったらここまで他者ではない役回りかもしれない。
彼女のお父さん、そしてお母さんまでもがカラスに襲われて失明している。
にも関わらず、前を向いて生きている人である。彼女はやや乱暴にでも、
小さな世界に介入して、咲ちゃんを外に連れ出そうとする。
でも、その小さな世界を壊されることを恐れる、
咲ちゃんのお兄さんや同級生たちの気持ちも理解している、というか理解できなくても、
尊重はしようとしている。その不満げな表情と、介入、あるいは侵襲の仕方が
とても良かったと思う。

初台さんは、咲ちゃんのお兄さんの同級生で、環境省の官僚の設定、
鳥害の調査研究でこの街を訪れて、当時の状況を聞こうとする
(拒絶されるが何度も来る)同級生のうちの光井さんは、
今の状況を良くするために、彼を小さな世界に入れることを許す。
しかし、咲ちゃんのお兄さんと特に小山内さんに拒絶される。
小さな世界を守ろうとする人たち、それは咲ちゃんを守るための至極まっとうの論理をかざしているようで、
咲ちゃんの意見は実はきちんと聞いていない。

ここで守るという行為そのものに対しての疑念がわく。
守るという行為は、相手を思いやっての行為であるようであるけれども、
それは、実は自分を守るための行為であったのかもしれないとも気付かされる。
これは共依存だろうか。自国を守るための行為にも想像が及んでいるのか、そこまでではないのか。
そうだ、ここでの言及は初台さんのことだった。
彼は今回の劇の中では、国の人であり、@auetaqueさんの言葉を借りれば、
偉い側の人だ。しかし、彼は権力を振りかざすより、
現状と過去の理解に努め且つある種残酷なほど客観的であったりもする。
劇中では、解決のための行動には至らず、彼もまた劇中で飄々ともがいている。

今までの小さな世界が崩れるシーンで、同級生が今までのように彼女の家に
来られなくなった時点で、咲ちゃんは同級生の皆を抱きしめて、大丈夫だよという。
根拠も自身もないような大丈夫。なのに妙に納得してしまう。
最後のシーンで、咲ちゃんはお兄さんと外に出る。公園に行くという小さな行動だが
外に目を向けて動くという行動の大きさがやけに際立つ。救い、に見える。

書きつつ考えをまとめていくと、主題はこれが近いだろうか、弱者からの、弱者になってからの、
マイノリティとしての視点と葛藤だ。マジョリティであれば気にしなかったことも、
マイノリティになると、気になり、乗り越えるべき(だと社会から思われている)
ハードルも高くなる。確かに、マジョリティになれば、世間は変わるのだ、
だから意見を集めるのだというようなセリフが初台さんからあったはずだ。

私のテーマ考察はこのくらい。大変難解な劇だった。
演出の荒川氏も難しかったというくらいだから、観客の理解も難しいものである。
ただ、重苦しくならないように、笑える場面はかなり含まれている。
おかげであたたかく見守ることが出来るし、エンターテイメントとしての面白さは
維持されている。このあたりはさすがである。

あとは、個人的な感想。
好きだったのは、暗闇の演出。咲ちゃんが電気を消すことで、短い間、
咲ちゃんが強者になり、目の見える人が弱者になる。あの演出では、
実は観客までもが弱者になり、不安になってしまう。脚本と演出の力で、
観客を遠くに飛ばせる力があるのだから、もっと色々なところに飛ばしても良いのではないかと、思った。

私が伺った回(9/30 土ソワ)は、恐らく、谷の回だったのだと思う。
初台さんから始まり、役者さんたちがセリフを噛んでしまう場面が異様に多かった。
それによって、恐らくもたらされたであろう、別の気づきも失われてしまっていたので、
残念だった。他の回もセリフで噛んでしまうことが多かったのであれば、
単に練習不足であるか、台詞に対して、感情がついてきていないだけだろう。

もう一つはリアリティ、カラスが人を襲う設定は面白いが、
特定の地域のみであることの必然性がいまいち掴めなかった。

小山内さんの役者さん(津島一馬さん)のそつのない感じが結構すきでした。
橘さんの役者さん(こうこさん)の言外の演技も好きでした。
咲ちゃんのお兄さん(高円寺さん)の、シリアスな演技が観られて、
個人的には嬉しかったです。少し社会の憂いがみえたのが良かった。
身体の動かし方は、もはや個性だけど、やはりまだ言葉と感情と身体が
やや分離してた部分があったのかなぁ。
横芝さん(中川慎太郎さん)のお腹が成長しすぎてて、少し心配になった。
社会人、飲みすぎることなかれ。食べ過ぎ注意やよ。せっかく小顔だし、
良い表現者なのだから。

細かいことを言えば、当日パンフレットの役者さんの今後の予定のURLが長すぎる。
短縮URLかQRコードを使えば良かろうと言いながら、URLを全部打ち込んで、
動画を再生している方もいました(by my husband)



2016年9月12日月曜日

観劇 -- 午前3時59分(立ツ鳥会議)

先日で大阪公演が終わったということで,久々に劇の感想を1席(一年ぶり!)
すまぬ,今回は手放しでは褒められないだろう。

好きな歌手が新曲をリリースした,が,私はあまり好きな曲じゃない。
でも,今後も定期的に曲を出して欲しい,そんな感じ。

今回の観劇で先立つモノは違和感だった。
まず,登場人物の心理は,歳とともに経てきた妥協や矛盾を抱えているのにも関わらず
受験生,浪人生,就職浪人生など,若いということだ。
若い設定なのにも関わらず,見た目が若くない(老けてるとかお腹でてるとか)ということに違和感を感じてしまい,
こういう違和感を最初に感じると,それに引っ張られて,
劇の内容を頭に入れることをしにくくなるという
困ったことが起こる。
こいつは,趣味の問題かもしれないし,人によって違いがあることなのだろう。
(アリス・イン・ワンダーランド2を観た時にも同じようなことが起こった,
アリスがもう少しだけ可愛かったら,集中できるんだけど,てきな。←身も蓋もない)
あと,時代背景とか舞台背景に矛盾が大きいと,それに引っ張られる。
(今回はそんなことは無かったけど,よくテレビドラマでは遭遇する。いくらなんでも,そりゃ無いぜ的な。
そういう意味でもシン・ゴジラは素晴らしかった。)

というわけで,以下断片のような感想である。

中身の解釈は難しかった。
途中まで,人の悪意やスレ違いというものが,色濃く描かれていて
当初あまりにも,桜子ちゃん(鶴たけ子さん)が不憫で,そこまで救いようがないと辛いなと思っていた。
ただ,こういう悪意やスレ違いというのは,多かれ少なかれ日常生活であって,普段は
感じたとしても無視したり,触れないものだから,
それを浮き立たせるということ自体が意義だとすると,それには成功していたのだと思う。
それにしても,あそこまで不憫な桜子ちゃんが,そんなに素直な感じに育つとは思えなくて
彼女の抱えるであろう闇からあの無邪気さが生まれることへの違和感もあった。

バスターミナルの登場人物はなかなかにむき出しで魅力的でよかった。
誰一人あんまりまともじゃないというのがなかなか良かった。
ダルくて軽い雰囲気なのに,エグいことをさらりとしてしまうという気さくさと
桜子ちゃんへの過去へのリンクは,現実と記憶との橋渡しのようで,興味深かった。
そうか,最初に電話になかなか出ないという行為自体が,外界との遮断を自ら行っているという
表現だったのかもしれない。

人はそもそも孤独で理解し合えないというところから,
理解の土壌が合わないもの同士は理解し合えないというところから
理解をしようとしても良いのではないのかという救いのある場面が印象的だった。

ラストにほど近い,銀河鉄道のようなバスのシーンは良かった。
人が生まれ落ちる前かのような,不思議な感覚。
軽快なセリフ回しの愉しさとここで逢えたことに安心を覚える。

電話にでる桜子ちゃんが,それぞれの登場人物との大事な人との会話を
大事な人になりきって応対していくシーンで,一気に光に近づいていく感覚はあった。

その前の他の回想シーンでは,少ない登場人物が,桜子ちゃんの過去の関わりのある人物になり,
演じるというシーンがあり,そこでは,救いようのないような辛い記憶だから,
彼女が別の人を演じるということで,他の人を救っていくような言葉をかけていくこと自体が
光なのかもしれないと,ふと思った。

劇中で3時59分で,眠っている人より起きている人が多くなるという解説がある。それに対して,
ある種の救いを書いているような気もした。

以下,個人的な趣味,私は,向井さん(石原夏実さん)が桜子ちゃんが飼っているオウムになりきって,羽を広げて
話しかけるシーンが大好きだった。独特な発声と,オウムの桜子ちゃんへのただ寄り添う幸せを願っている視線と動き。普段から身体を動かすことをしている人のしなやかな,動きと相まって,大分心動かされてしまった。

たぶん,植松氏が,パンフレットに書かれていたとおり,
社会人の生活を営みながら作品を創るということは,無理めだったんだと思う。
本来,彼が考えていることをねり切れずに,〆切があったから,昇華させざるを得なかった,
そんな感じ。恐らく,私は彼が伝えたかったであろうことの尻尾も掴めていないのだろうと思う。
ひどく丁寧な心の内面の揺れ動きと,それがようやく表に出せた一歩自体が,
悩ましい社会生活を送る我々への励ましだったのかもしれない。
そもそも,私は,ここに救いという言葉を多用したが,残念ながら,ちょっと思いよがりの解釈なのである。

それでも,伝えるということを続けている彼らに敬意を評したいし,
まずは,ゆっくり休んで英気を養って欲しい。


おつかれさま(はあと)! 

2015年6月21日日曜日

観劇 -- ゆうちゃんの年(立ツ鳥会議)


良い劇だった。
色々な要素がある劇だったのだけど,
個人的には,一般的な世の中にある弱き者とされている人達の内面の葛藤と
それを取り巻く環境,人たちとの関わりが,深いくせに "軽妙なタッチ” で描かれていた点にこの劇の特質があると思う。
ストーリーとしては,ある事件をきっかけにして,その事件で亡くなった人の名がゆうちゃんであることから,
その年(年度)の子どものほとんどがゆうちゃんと名付けられるというフィクションであり,
そのゆうちゃんはゆうちゃん同士では共有ができる点が多いのだが,外にでると
ひどく社会性が低くて,うまく環境に適応できなかったり,会話ができなかったりする。
最初はそのゆうちゃんと他者との会話が成り立たないということが,まるでコメディのようにかかれていて,
観客はそれに引き込まれてしまう,笑ってしまう。そう,この時観客はあくまでゆうちゃんじゃ無い側にいる。

ゆうちゃんはゆうちゃんのコミュニティの中では,相手が好きなモノは自分の好きなモノでもあり,
無条件に共有できる仲間,まるで同期をしているような仲間なのだ。そこにいる時には楽しく落ち着いて
くつろげる。

ゆうちゃんの年には1人ゆうちゃんではない子,あいちゃんがいて,それは,そのある事件の結果であるのだが,
ゆうちゃんはそのゆうちゃんではない子,あいちゃんのことを仕事の関わりがあっても,なかなか思い出せない。
事件で亡くなったゆうちゃんの年(年齢)にその時生まれたゆうちゃんたちがなった時に,その同期のような共有の魔法は
解けて,それぞれのゆうちゃんが,それぞれの人間になっていく。それに付随する違和感と葛藤にもがき苦しみながら
ゆうちゃんは,個としての人間になっていく。この過程において,観客はいつの間にか(もちろん私の主観ではあるけれど)
ゆうちゃん側に立っている。そう,これは多かれ少なかれ,皆ゆうちゃんの部分があるということ,自分のいるコミュニティ
の中では,自分の好き嫌い,前提条件を,常識として当然のものとして自分の中に取り入れてしまう。
アインシュタインは,「常識とは,18歳までに身に付けた偏見のコレクションである」と言った。
あなたにとって,私にとって当たり前のことは,好きなことは,本当に,本当に,あなたにとって,私にとって
当たり前だろうか?好きなことであろうか?

ゆうちゃんの魔法が解けた時に,お酒に弱いゆうちゃんは,お酒に強くて楽しめるゆうちゃんに合わせていただけであり
ひどい二日酔いになる(ゆうちゃん同期は体質まで変えてしまう!)その二日酔いの状況で朝をグデグデと迎えながら
これからどうしようと思いを馳せ,しかし,そこでゆうちゃんがいう,「分かった!かもしれない…信じるということかな?」
という言葉がすごく良かった。自分の感情やら信念やらというのは,実は信じるしかないことなのかもしれない。

そして,ゆうちゃんはあいちゃんを思い出す,が,それはあいちゃんとの別れともなる。(あいちゃんがやってはいけないことを
職場でやったから出ざるを得なかったのだけど,なぜ別れになったのかということが私にはまだわかっていない。後から分かった。You と I のロジックだ。)
ゆうちゃんは魔法が解けて,清々しく他者との関係を見つめられるようにもなり,救いのあるシーンで劇は終わる。

ここで書いたのは一部のテーマだけで,他にも子供の名前についてゆうちゃんたちが考えるシーンや男性のゆうちゃんが(劇中にゆうちゃんは3人いる)
結婚に悩んだり,弟との関係について考えたり,ゆうちゃんの契約先であいちゃんが働いている役所の上司の仕事に対する
気持ちの向け方とか取り組みとか(さすが社会人になっただけあって地に足の着いた発言をしよる,そして彼の存在に救われている場面が結構ある)
くまさんと蟻さんの話とか,他にも魅力的なシーンも色々あったので,脚本販売したらちょっと売れるかも(←え,そこ)。

テーマが重くて,捉えようによってはひどく社会的なのにも関わらず,軽妙な掛け合いのおかげで,観客が
スッと劇の世界に入れてしまうということに感心したし,ずるいと思ったし,
開場に間に合わせるために職場から猛ダッシュしてよかったし,
この劇を100分でまとめるあたりにも,感心したし,ずるいと思った。(私は何を悔しがってみているのだろう)

劇を観た後に,大学時代に劇をしていた友達とご飯を食べて感想を言い合って,なんか最近の悩みと絡めてお話して
そんな時間が持てて幸せだった。