2017年10月2日月曜日

観劇 -- 嘴細(立ツ鳥会議)

大人になればなるほど、色々なことに思いを馳せてしまって、率直な意見を言いにくくなるなと気づく。
それは、思いやりと尊重という皮を被った、不誠実のような気もする。

立ツ鳥会議、嘴細、観てきた。

今回は更にテーマが難解で掴めていないと思う。
この作品自体は、植松氏が数年来あたためてきたもの、とあるので
シンプルでストレートなものではないのだと思う。(以下ネタバレあり)

共依存なのか、不条理なのか、何なのか。

悩んでいるときは他の方の意見も参考にしよう!(カンニング!?)twitterで検索。

https://twitter.com/auetaque/status/914138116444758017
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立ツ鳥会議 『嘴細』意外な相手に寄って集ってつつかれる悲惨な状態は、国の近い将来を予知するかの様で、諦めとはまた違う何となくな受け止めをしてるのが現代人だなと思う。抉られた心を前に向けようと踏み出した者がいたのもいい。初台という偉い側の者が慇懃なピエロ風、上手い収まり。
@auetaque
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なるほど、弱者やマイノリティへの視線と行動が確かにあった。
クラスの人気者であった咲ちゃんが、目を執拗に狙うカラスに狙われて失明して、外に出られなくなる。
これは、最近の有名人が、問題を起こして、復帰しにくくなっている傾向とも似ている。
特定の人の行動を槍玉に挙げて、その人がそれまでしてきた成果や、
その人がやり遂げてくれたかもしれないことまでも、
根こそぎ奪ってしまうかもしれないようなそのスタイルは、
近年の報道のあり方や、報道が示す世間のあり方の一端であろう。

咲ちゃんが襲われていることを目撃しつつも、助けられなかった同級生3人
(小山内さん、横芝さん、光井さん)が、ずっと咲ちゃんと
そのお兄さんが住む部屋に手伝いに行っている。咲ちゃんは事件以来、
外から出られない、小さな世界を形成している。

もう一つのテーマのマイノリティへの視線、LGBTが含まれている。
同級生3人のうち、小山内さんと横芝さんがゲイであるという設定になっている。
横芝さんはゲイであるが、小山内さんは人として横芝さんが好きであっても
ストレートであることを自覚してしまう。咲ちゃんが襲われた日、
横芝さんは小山内さんを守ったから咲ちゃんは襲われてしまう。
そうしてまでも好きだから守ったのに、小山内さんが自分を
愛してはいないことを横芝さんは知ってしまう。
社会のマジョリティであろう、男の子が女の子を守る行為をすれば
咲ちゃんは守れたはずだと、横芝さんは苦しみ続けていた。
小山内さんが横芝さんを拒絶するようになってから、横芝さんは
小さな世界から去ることにするのだ。

そして、重要な他者として、咲ちゃんのお兄さんの同級生の橘さんと初台さんがいる。
橘さんは、理解のあるポジティブな人で、
普通のドラマだったらここまで他者ではない役回りかもしれない。
彼女のお父さん、そしてお母さんまでもがカラスに襲われて失明している。
にも関わらず、前を向いて生きている人である。彼女はやや乱暴にでも、
小さな世界に介入して、咲ちゃんを外に連れ出そうとする。
でも、その小さな世界を壊されることを恐れる、
咲ちゃんのお兄さんや同級生たちの気持ちも理解している、というか理解できなくても、
尊重はしようとしている。その不満げな表情と、介入、あるいは侵襲の仕方が
とても良かったと思う。

初台さんは、咲ちゃんのお兄さんの同級生で、環境省の官僚の設定、
鳥害の調査研究でこの街を訪れて、当時の状況を聞こうとする
(拒絶されるが何度も来る)同級生のうちの光井さんは、
今の状況を良くするために、彼を小さな世界に入れることを許す。
しかし、咲ちゃんのお兄さんと特に小山内さんに拒絶される。
小さな世界を守ろうとする人たち、それは咲ちゃんを守るための至極まっとうの論理をかざしているようで、
咲ちゃんの意見は実はきちんと聞いていない。

ここで守るという行為そのものに対しての疑念がわく。
守るという行為は、相手を思いやっての行為であるようであるけれども、
それは、実は自分を守るための行為であったのかもしれないとも気付かされる。
これは共依存だろうか。自国を守るための行為にも想像が及んでいるのか、そこまでではないのか。
そうだ、ここでの言及は初台さんのことだった。
彼は今回の劇の中では、国の人であり、@auetaqueさんの言葉を借りれば、
偉い側の人だ。しかし、彼は権力を振りかざすより、
現状と過去の理解に努め且つある種残酷なほど客観的であったりもする。
劇中では、解決のための行動には至らず、彼もまた劇中で飄々ともがいている。

今までの小さな世界が崩れるシーンで、同級生が今までのように彼女の家に
来られなくなった時点で、咲ちゃんは同級生の皆を抱きしめて、大丈夫だよという。
根拠も自身もないような大丈夫。なのに妙に納得してしまう。
最後のシーンで、咲ちゃんはお兄さんと外に出る。公園に行くという小さな行動だが
外に目を向けて動くという行動の大きさがやけに際立つ。救い、に見える。

書きつつ考えをまとめていくと、主題はこれが近いだろうか、弱者からの、弱者になってからの、
マイノリティとしての視点と葛藤だ。マジョリティであれば気にしなかったことも、
マイノリティになると、気になり、乗り越えるべき(だと社会から思われている)
ハードルも高くなる。確かに、マジョリティになれば、世間は変わるのだ、
だから意見を集めるのだというようなセリフが初台さんからあったはずだ。

私のテーマ考察はこのくらい。大変難解な劇だった。
演出の荒川氏も難しかったというくらいだから、観客の理解も難しいものである。
ただ、重苦しくならないように、笑える場面はかなり含まれている。
おかげであたたかく見守ることが出来るし、エンターテイメントとしての面白さは
維持されている。このあたりはさすがである。

あとは、個人的な感想。
好きだったのは、暗闇の演出。咲ちゃんが電気を消すことで、短い間、
咲ちゃんが強者になり、目の見える人が弱者になる。あの演出では、
実は観客までもが弱者になり、不安になってしまう。脚本と演出の力で、
観客を遠くに飛ばせる力があるのだから、もっと色々なところに飛ばしても良いのではないかと、思った。

私が伺った回(9/30 土ソワ)は、恐らく、谷の回だったのだと思う。
初台さんから始まり、役者さんたちがセリフを噛んでしまう場面が異様に多かった。
それによって、恐らくもたらされたであろう、別の気づきも失われてしまっていたので、
残念だった。他の回もセリフで噛んでしまうことが多かったのであれば、
単に練習不足であるか、台詞に対して、感情がついてきていないだけだろう。

もう一つはリアリティ、カラスが人を襲う設定は面白いが、
特定の地域のみであることの必然性がいまいち掴めなかった。

小山内さんの役者さん(津島一馬さん)のそつのない感じが結構すきでした。
橘さんの役者さん(こうこさん)の言外の演技も好きでした。
咲ちゃんのお兄さん(高円寺さん)の、シリアスな演技が観られて、
個人的には嬉しかったです。少し社会の憂いがみえたのが良かった。
身体の動かし方は、もはや個性だけど、やはりまだ言葉と感情と身体が
やや分離してた部分があったのかなぁ。
横芝さん(中川慎太郎さん)のお腹が成長しすぎてて、少し心配になった。
社会人、飲みすぎることなかれ。食べ過ぎ注意やよ。せっかく小顔だし、
良い表現者なのだから。

細かいことを言えば、当日パンフレットの役者さんの今後の予定のURLが長すぎる。
短縮URLかQRコードを使えば良かろうと言いながら、URLを全部打ち込んで、
動画を再生している方もいました(by my husband)



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