2017年10月2日月曜日

観劇 -- 嘴細(立ツ鳥会議)

大人になればなるほど、色々なことに思いを馳せてしまって、率直な意見を言いにくくなるなと気づく。
それは、思いやりと尊重という皮を被った、不誠実のような気もする。

立ツ鳥会議、嘴細、観てきた。

今回は更にテーマが難解で掴めていないと思う。
この作品自体は、植松氏が数年来あたためてきたもの、とあるので
シンプルでストレートなものではないのだと思う。(以下ネタバレあり)

共依存なのか、不条理なのか、何なのか。

悩んでいるときは他の方の意見も参考にしよう!(カンニング!?)twitterで検索。

https://twitter.com/auetaque/status/914138116444758017
"
立ツ鳥会議 『嘴細』意外な相手に寄って集ってつつかれる悲惨な状態は、国の近い将来を予知するかの様で、諦めとはまた違う何となくな受け止めをしてるのが現代人だなと思う。抉られた心を前に向けようと踏み出した者がいたのもいい。初台という偉い側の者が慇懃なピエロ風、上手い収まり。
@auetaque
"

なるほど、弱者やマイノリティへの視線と行動が確かにあった。
クラスの人気者であった咲ちゃんが、目を執拗に狙うカラスに狙われて失明して、外に出られなくなる。
これは、最近の有名人が、問題を起こして、復帰しにくくなっている傾向とも似ている。
特定の人の行動を槍玉に挙げて、その人がそれまでしてきた成果や、
その人がやり遂げてくれたかもしれないことまでも、
根こそぎ奪ってしまうかもしれないようなそのスタイルは、
近年の報道のあり方や、報道が示す世間のあり方の一端であろう。

咲ちゃんが襲われていることを目撃しつつも、助けられなかった同級生3人
(小山内さん、横芝さん、光井さん)が、ずっと咲ちゃんと
そのお兄さんが住む部屋に手伝いに行っている。咲ちゃんは事件以来、
外から出られない、小さな世界を形成している。

もう一つのテーマのマイノリティへの視線、LGBTが含まれている。
同級生3人のうち、小山内さんと横芝さんがゲイであるという設定になっている。
横芝さんはゲイであるが、小山内さんは人として横芝さんが好きであっても
ストレートであることを自覚してしまう。咲ちゃんが襲われた日、
横芝さんは小山内さんを守ったから咲ちゃんは襲われてしまう。
そうしてまでも好きだから守ったのに、小山内さんが自分を
愛してはいないことを横芝さんは知ってしまう。
社会のマジョリティであろう、男の子が女の子を守る行為をすれば
咲ちゃんは守れたはずだと、横芝さんは苦しみ続けていた。
小山内さんが横芝さんを拒絶するようになってから、横芝さんは
小さな世界から去ることにするのだ。

そして、重要な他者として、咲ちゃんのお兄さんの同級生の橘さんと初台さんがいる。
橘さんは、理解のあるポジティブな人で、
普通のドラマだったらここまで他者ではない役回りかもしれない。
彼女のお父さん、そしてお母さんまでもがカラスに襲われて失明している。
にも関わらず、前を向いて生きている人である。彼女はやや乱暴にでも、
小さな世界に介入して、咲ちゃんを外に連れ出そうとする。
でも、その小さな世界を壊されることを恐れる、
咲ちゃんのお兄さんや同級生たちの気持ちも理解している、というか理解できなくても、
尊重はしようとしている。その不満げな表情と、介入、あるいは侵襲の仕方が
とても良かったと思う。

初台さんは、咲ちゃんのお兄さんの同級生で、環境省の官僚の設定、
鳥害の調査研究でこの街を訪れて、当時の状況を聞こうとする
(拒絶されるが何度も来る)同級生のうちの光井さんは、
今の状況を良くするために、彼を小さな世界に入れることを許す。
しかし、咲ちゃんのお兄さんと特に小山内さんに拒絶される。
小さな世界を守ろうとする人たち、それは咲ちゃんを守るための至極まっとうの論理をかざしているようで、
咲ちゃんの意見は実はきちんと聞いていない。

ここで守るという行為そのものに対しての疑念がわく。
守るという行為は、相手を思いやっての行為であるようであるけれども、
それは、実は自分を守るための行為であったのかもしれないとも気付かされる。
これは共依存だろうか。自国を守るための行為にも想像が及んでいるのか、そこまでではないのか。
そうだ、ここでの言及は初台さんのことだった。
彼は今回の劇の中では、国の人であり、@auetaqueさんの言葉を借りれば、
偉い側の人だ。しかし、彼は権力を振りかざすより、
現状と過去の理解に努め且つある種残酷なほど客観的であったりもする。
劇中では、解決のための行動には至らず、彼もまた劇中で飄々ともがいている。

今までの小さな世界が崩れるシーンで、同級生が今までのように彼女の家に
来られなくなった時点で、咲ちゃんは同級生の皆を抱きしめて、大丈夫だよという。
根拠も自身もないような大丈夫。なのに妙に納得してしまう。
最後のシーンで、咲ちゃんはお兄さんと外に出る。公園に行くという小さな行動だが
外に目を向けて動くという行動の大きさがやけに際立つ。救い、に見える。

書きつつ考えをまとめていくと、主題はこれが近いだろうか、弱者からの、弱者になってからの、
マイノリティとしての視点と葛藤だ。マジョリティであれば気にしなかったことも、
マイノリティになると、気になり、乗り越えるべき(だと社会から思われている)
ハードルも高くなる。確かに、マジョリティになれば、世間は変わるのだ、
だから意見を集めるのだというようなセリフが初台さんからあったはずだ。

私のテーマ考察はこのくらい。大変難解な劇だった。
演出の荒川氏も難しかったというくらいだから、観客の理解も難しいものである。
ただ、重苦しくならないように、笑える場面はかなり含まれている。
おかげであたたかく見守ることが出来るし、エンターテイメントとしての面白さは
維持されている。このあたりはさすがである。

あとは、個人的な感想。
好きだったのは、暗闇の演出。咲ちゃんが電気を消すことで、短い間、
咲ちゃんが強者になり、目の見える人が弱者になる。あの演出では、
実は観客までもが弱者になり、不安になってしまう。脚本と演出の力で、
観客を遠くに飛ばせる力があるのだから、もっと色々なところに飛ばしても良いのではないかと、思った。

私が伺った回(9/30 土ソワ)は、恐らく、谷の回だったのだと思う。
初台さんから始まり、役者さんたちがセリフを噛んでしまう場面が異様に多かった。
それによって、恐らくもたらされたであろう、別の気づきも失われてしまっていたので、
残念だった。他の回もセリフで噛んでしまうことが多かったのであれば、
単に練習不足であるか、台詞に対して、感情がついてきていないだけだろう。

もう一つはリアリティ、カラスが人を襲う設定は面白いが、
特定の地域のみであることの必然性がいまいち掴めなかった。

小山内さんの役者さん(津島一馬さん)のそつのない感じが結構すきでした。
橘さんの役者さん(こうこさん)の言外の演技も好きでした。
咲ちゃんのお兄さん(高円寺さん)の、シリアスな演技が観られて、
個人的には嬉しかったです。少し社会の憂いがみえたのが良かった。
身体の動かし方は、もはや個性だけど、やはりまだ言葉と感情と身体が
やや分離してた部分があったのかなぁ。
横芝さん(中川慎太郎さん)のお腹が成長しすぎてて、少し心配になった。
社会人、飲みすぎることなかれ。食べ過ぎ注意やよ。せっかく小顔だし、
良い表現者なのだから。

細かいことを言えば、当日パンフレットの役者さんの今後の予定のURLが長すぎる。
短縮URLかQRコードを使えば良かろうと言いながら、URLを全部打ち込んで、
動画を再生している方もいました(by my husband)



2016年9月12日月曜日

観劇 -- 午前3時59分(立ツ鳥会議)

先日で大阪公演が終わったということで,久々に劇の感想を1席(一年ぶり!)
すまぬ,今回は手放しでは褒められないだろう。

好きな歌手が新曲をリリースした,が,私はあまり好きな曲じゃない。
でも,今後も定期的に曲を出して欲しい,そんな感じ。

今回の観劇で先立つモノは違和感だった。
まず,登場人物の心理は,歳とともに経てきた妥協や矛盾を抱えているのにも関わらず
受験生,浪人生,就職浪人生など,若いということだ。
若い設定なのにも関わらず,見た目が若くない(老けてるとかお腹でてるとか)ということに違和感を感じてしまい,
こういう違和感を最初に感じると,それに引っ張られて,
劇の内容を頭に入れることをしにくくなるという
困ったことが起こる。
こいつは,趣味の問題かもしれないし,人によって違いがあることなのだろう。
(アリス・イン・ワンダーランド2を観た時にも同じようなことが起こった,
アリスがもう少しだけ可愛かったら,集中できるんだけど,てきな。←身も蓋もない)
あと,時代背景とか舞台背景に矛盾が大きいと,それに引っ張られる。
(今回はそんなことは無かったけど,よくテレビドラマでは遭遇する。いくらなんでも,そりゃ無いぜ的な。
そういう意味でもシン・ゴジラは素晴らしかった。)

というわけで,以下断片のような感想である。

中身の解釈は難しかった。
途中まで,人の悪意やスレ違いというものが,色濃く描かれていて
当初あまりにも,桜子ちゃん(鶴たけ子さん)が不憫で,そこまで救いようがないと辛いなと思っていた。
ただ,こういう悪意やスレ違いというのは,多かれ少なかれ日常生活であって,普段は
感じたとしても無視したり,触れないものだから,
それを浮き立たせるということ自体が意義だとすると,それには成功していたのだと思う。
それにしても,あそこまで不憫な桜子ちゃんが,そんなに素直な感じに育つとは思えなくて
彼女の抱えるであろう闇からあの無邪気さが生まれることへの違和感もあった。

バスターミナルの登場人物はなかなかにむき出しで魅力的でよかった。
誰一人あんまりまともじゃないというのがなかなか良かった。
ダルくて軽い雰囲気なのに,エグいことをさらりとしてしまうという気さくさと
桜子ちゃんへの過去へのリンクは,現実と記憶との橋渡しのようで,興味深かった。
そうか,最初に電話になかなか出ないという行為自体が,外界との遮断を自ら行っているという
表現だったのかもしれない。

人はそもそも孤独で理解し合えないというところから,
理解の土壌が合わないもの同士は理解し合えないというところから
理解をしようとしても良いのではないのかという救いのある場面が印象的だった。

ラストにほど近い,銀河鉄道のようなバスのシーンは良かった。
人が生まれ落ちる前かのような,不思議な感覚。
軽快なセリフ回しの愉しさとここで逢えたことに安心を覚える。

電話にでる桜子ちゃんが,それぞれの登場人物との大事な人との会話を
大事な人になりきって応対していくシーンで,一気に光に近づいていく感覚はあった。

その前の他の回想シーンでは,少ない登場人物が,桜子ちゃんの過去の関わりのある人物になり,
演じるというシーンがあり,そこでは,救いようのないような辛い記憶だから,
彼女が別の人を演じるということで,他の人を救っていくような言葉をかけていくこと自体が
光なのかもしれないと,ふと思った。

劇中で3時59分で,眠っている人より起きている人が多くなるという解説がある。それに対して,
ある種の救いを書いているような気もした。

以下,個人的な趣味,私は,向井さん(石原夏実さん)が桜子ちゃんが飼っているオウムになりきって,羽を広げて
話しかけるシーンが大好きだった。独特な発声と,オウムの桜子ちゃんへのただ寄り添う幸せを願っている視線と動き。普段から身体を動かすことをしている人のしなやかな,動きと相まって,大分心動かされてしまった。

たぶん,植松氏が,パンフレットに書かれていたとおり,
社会人の生活を営みながら作品を創るということは,無理めだったんだと思う。
本来,彼が考えていることをねり切れずに,〆切があったから,昇華させざるを得なかった,
そんな感じ。恐らく,私は彼が伝えたかったであろうことの尻尾も掴めていないのだろうと思う。
ひどく丁寧な心の内面の揺れ動きと,それがようやく表に出せた一歩自体が,
悩ましい社会生活を送る我々への励ましだったのかもしれない。
そもそも,私は,ここに救いという言葉を多用したが,残念ながら,ちょっと思いよがりの解釈なのである。

それでも,伝えるということを続けている彼らに敬意を評したいし,
まずは,ゆっくり休んで英気を養って欲しい。


おつかれさま(はあと)! 

2015年6月21日日曜日

観劇 -- ゆうちゃんの年(立ツ鳥会議)


良い劇だった。
色々な要素がある劇だったのだけど,
個人的には,一般的な世の中にある弱き者とされている人達の内面の葛藤と
それを取り巻く環境,人たちとの関わりが,深いくせに "軽妙なタッチ” で描かれていた点にこの劇の特質があると思う。
ストーリーとしては,ある事件をきっかけにして,その事件で亡くなった人の名がゆうちゃんであることから,
その年(年度)の子どものほとんどがゆうちゃんと名付けられるというフィクションであり,
そのゆうちゃんはゆうちゃん同士では共有ができる点が多いのだが,外にでると
ひどく社会性が低くて,うまく環境に適応できなかったり,会話ができなかったりする。
最初はそのゆうちゃんと他者との会話が成り立たないということが,まるでコメディのようにかかれていて,
観客はそれに引き込まれてしまう,笑ってしまう。そう,この時観客はあくまでゆうちゃんじゃ無い側にいる。

ゆうちゃんはゆうちゃんのコミュニティの中では,相手が好きなモノは自分の好きなモノでもあり,
無条件に共有できる仲間,まるで同期をしているような仲間なのだ。そこにいる時には楽しく落ち着いて
くつろげる。

ゆうちゃんの年には1人ゆうちゃんではない子,あいちゃんがいて,それは,そのある事件の結果であるのだが,
ゆうちゃんはそのゆうちゃんではない子,あいちゃんのことを仕事の関わりがあっても,なかなか思い出せない。
事件で亡くなったゆうちゃんの年(年齢)にその時生まれたゆうちゃんたちがなった時に,その同期のような共有の魔法は
解けて,それぞれのゆうちゃんが,それぞれの人間になっていく。それに付随する違和感と葛藤にもがき苦しみながら
ゆうちゃんは,個としての人間になっていく。この過程において,観客はいつの間にか(もちろん私の主観ではあるけれど)
ゆうちゃん側に立っている。そう,これは多かれ少なかれ,皆ゆうちゃんの部分があるということ,自分のいるコミュニティ
の中では,自分の好き嫌い,前提条件を,常識として当然のものとして自分の中に取り入れてしまう。
アインシュタインは,「常識とは,18歳までに身に付けた偏見のコレクションである」と言った。
あなたにとって,私にとって当たり前のことは,好きなことは,本当に,本当に,あなたにとって,私にとって
当たり前だろうか?好きなことであろうか?

ゆうちゃんの魔法が解けた時に,お酒に弱いゆうちゃんは,お酒に強くて楽しめるゆうちゃんに合わせていただけであり
ひどい二日酔いになる(ゆうちゃん同期は体質まで変えてしまう!)その二日酔いの状況で朝をグデグデと迎えながら
これからどうしようと思いを馳せ,しかし,そこでゆうちゃんがいう,「分かった!かもしれない…信じるということかな?」
という言葉がすごく良かった。自分の感情やら信念やらというのは,実は信じるしかないことなのかもしれない。

そして,ゆうちゃんはあいちゃんを思い出す,が,それはあいちゃんとの別れともなる。(あいちゃんがやってはいけないことを
職場でやったから出ざるを得なかったのだけど,なぜ別れになったのかということが私にはまだわかっていない。後から分かった。You と I のロジックだ。)
ゆうちゃんは魔法が解けて,清々しく他者との関係を見つめられるようにもなり,救いのあるシーンで劇は終わる。

ここで書いたのは一部のテーマだけで,他にも子供の名前についてゆうちゃんたちが考えるシーンや男性のゆうちゃんが(劇中にゆうちゃんは3人いる)
結婚に悩んだり,弟との関係について考えたり,ゆうちゃんの契約先であいちゃんが働いている役所の上司の仕事に対する
気持ちの向け方とか取り組みとか(さすが社会人になっただけあって地に足の着いた発言をしよる,そして彼の存在に救われている場面が結構ある)
くまさんと蟻さんの話とか,他にも魅力的なシーンも色々あったので,脚本販売したらちょっと売れるかも(←え,そこ)。

テーマが重くて,捉えようによってはひどく社会的なのにも関わらず,軽妙な掛け合いのおかげで,観客が
スッと劇の世界に入れてしまうということに感心したし,ずるいと思ったし,
開場に間に合わせるために職場から猛ダッシュしてよかったし,
この劇を100分でまとめるあたりにも,感心したし,ずるいと思った。(私は何を悔しがってみているのだろう)

劇を観た後に,大学時代に劇をしていた友達とご飯を食べて感想を言い合って,なんか最近の悩みと絡めてお話して
そんな時間が持てて幸せだった。



2014年12月11日木曜日

犠牲(サクリファイス)―わが息子・脳死の11日 を読んで

犠牲(サクリファイス)―わが息子・脳死の11日
1999/6
柳田邦男
祖父母が亡くなり,叔母が生死の境を彷徨ってからというもの
死について真摯に考えることが増えました。そして,姪が産まれてから
生について考えることが増えました。
どんなに頑張っても人の命には限りがある。ならば,未来の子孫のために
私には何が出来るのかということ考え,自らに落としこんで考えるならば
劣化しない価値あるデータを,生み出すことであろうと,暫定的な解を導いていました。
それを成し遂げるまでには,自分は死ねないし,まだ取り組み始めに過ぎないとも思っています。

今回「犠牲 わが息子・脳死の11日」を読んで,考えることがありました。
自死をした洋次郎さんは,長らく精神を病んでいた。
精神を病む人は,周りの人にも結構多くいて(研究をする人は心を病む人も多い)それは何故かということを考えた時に,視野が狭くなっているからではないかと思っていました。特定の物差しで測られる世界に囚われ過ぎているから,精神を病む可能性が高いのではないのかと。彼らのことを気にしつつも,彼らの傷と隣り合うと自分の精神も引き込まれてしまうことへの恐れがあり,なかなか触れることが出来ないといったこともありました。ずっと気になってはいるんです。ふとした時に,彼らのことを強く思い出すのです。そして,彼らの発した一言一言を思い出し,それはある面では真実であったということも同時に思い出すのです。しかし,それが自分も含めた大多数においては筋ではない,という論理から,それを弾き飛ばしてしまう,
悪く言えば排除してしまうことに微かな違和感も覚えていました。

それに対して,自分には何が出来るかを再考した時に,未だに答えは出ないのですが,1つ思うことには,心を病みがちな友人のことであり,彼女は卓越した表現者であったということでした。大学時代に行っていた演劇で,人の心の深層まで沁み入って表現をする必要があるシーンがありました。私は深層まで触れこむことがとても怖くて,客観的にしか役に対峙できなかった。しかし,彼女は自分自身の心の深層を切り拓いて,役を自分自身に取り込んでいった。その演技は,観客への大きな共鳴を産んだ。

亡くなった洋次郎さんは,そういった性質を持つ人だったように感じました。人より感じてしまう,考えてしまう。文学に対して深い洞察を行うことが出来,自分自身にも取り込んでしまう。ある種卓越した才能を持つ人には違いなかった。しかし,それを外部の人と共有し発信することに対しても,強い恐怖心を抱いており,書くことで書き続けることで光を求めようと試みたが,結局死を選んでしまった。

この本の後半のすごさは,そうして亡くなった洋次郎さんが一時的な心肺の蘇生,脳死状態への移行から死に至った経緯に対して,邦男さんは圧倒的な喪失感と悲しみから,この私的な体験をなんとか公的な制度に反映させるために奔走したという点にあると思います。書くことで、動くことで、息子の追悼と再生を試みたということです。

邦男さんは、家族が二人称としての死を体験した時に、それを受容するには時間と物語が必要であったということから脳死について以下の様な提案をしています。

以下引用
(1)人はだんだんと死んでいくものだという自然の摂理を基本に置き、日本人の従来の死の概念を壊さないようにする。
つまり、一般的には心停止を持って死とするか、死の「前段階」である脳死の段階で死を受け入れるという人は、脳死での死亡を認められ、従って臓器提供が出来る。
(2)どの段階での死を選択するかは、あくまでも本人の生前の意志による、生前の意志の確認は、原則として自筆の文書(日記などを含む)によるが、
文書がない場合は、本人の意見を裏づける二人以上の信頼しうる証言を必要とする。家族の意思ではなく、あくまでも本人の意思を推定するに足る証言である。
とくに脳死を死とする場合は、本人の意思だけでなく、近親者の同意も必要である。
引用終わり

東洋的なファジーな思想を法律に組み込むべきだという大胆な提案です。
結局、脳死は人の死とされ、ばっさりと切る法律になってしまいました。家族の同意を取り付けられれば、医療者は臓器を移植できることになってしまいました。
しかしながら、このような問題提起と、行動(講演会や文筆活動)を起こされたことは、かなり重要で、意味のあることだと思います。そしてその重さを感じます。
自分自身を振り返ってみても、自分の身に起こった出来事に対して、批判したり、ひどく落ち込むだけではなく、現状を変えるための具体的な行動に出る、ということは、非常に重要な事だと感じています。

そして、この本によって、死生観というものが少し、変わりました。心を病む方への見方が変わりました。早かれ遅かれ人はいずれ死ぬ。そうした時の命の尊さは死にゆく者と今生きているものとでどれほど違うものなのか。生き続けることの意味、人称による死の意味の違いについても、深く考えさせられました。

今を生きる私達に、何が出来るのだろうか。何をすべきだろうか。どう生きるべきだろうか。どう向き合うべきなのだろうか。
今も考え続けています。

(後半が推敲不足なので、もう少し修正するかもしれません。)

2013年2月3日日曜日

データベース統合に関わってごちゃごちゃと考えるあれこれ



*注意:これからここに書くことは個人的な見解であり、所属する団体の
見解ではありません。(折角なのでざっくばらんに書きます。)

この4月から私が主に関わってきたプロジェクトは、
4省で連携して、日本中のデータベースを統合していこうというプロジェクトです。
壮大でしょ?
http://integbio.jp/ja/

日本国内だけで見ても、多種多様なデータベースがあるので、それらを統合していこうという
プロジェクトです。
ちなみにアメリカだったり、ヨーロッパだと既に、データベース統一のための組織があって
そこで働く人達が中心となって、データの統合をしているようです。
それらのサイトを見ると、確かに理路整然とデータがまとめられています。

例:ChEMBL:https://www.ebi.ac.uk/chembl/
例:NCBI:http://www.ncbi.nlm.nih.gov/

日本においてもこういった組織を作ろうという議論がされたことがあるらしいのですが、
色々な事情があって、作られたことも、今後作られる予定もないらしいです。
同じ戦略では良くないとか、予算や人的資源の関係で現実的ではないとか
いった理由のようです。
しかしながら、国家戦略的に考えてもライフサイエンスの研究において、どの組織が
どのような研究を行い、どのようなデータベースを開発してきたのか、正しく把握する必要が
出て来ました。他にも様々な理由からデータベース統合化の動きは起こったようですが、
ここでは割愛します。
参考URL:
『我が国のデータベース構築・統合戦略』
http://events.biosciencedbc.jp/article
ライフサイエンスデータベースの統合・維持・運用の在り方
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu2/shiryo/__icsFiles/afieldfile/2009/01/27/1218217_8_1.pdf


ただ、何のためにデータベースを作ったのかといったら、まとめあげられるデータを
整理した形で保存し、正しく迅速にデータを取り出し、研究に活用する必要があったからだと思うのです。
それらのデータは基本的に所属する組織もしくは、分野特異的なものであったはずですが、
特に同質なデータについては、それらのデータを再統合して整理して
見やすい形で提供するといった要求が発生するのは、ボトムアップ的に考えても納得出来ます。

で、どうすんの?ということですが、
特に4省連携のデータベース統合においては、4つのステップを踏んでいます。

1.カタログ連携
 どんなデータベースがあるの~?といったことを手作業で調べあげて、データベースごとに
説明文やメタデータを付与して整理します。
http://integbio.jp/dbcatalog/

2.横断検索連携
 データベース内のデータを一つ一つプログラムを書いて拾い上げて索引ファイルを作り、横断検索という形で提示します。(詳しくは後述)

3.アーカイブ構築連携
 各機関で制作されたデータベースをアーカイブ化して保存。統一したフォーマットでダウンロード
可能です。特に更新が止まってしまったデータベース、管理者がいなくなって放置されているデータベースに有効です。

4.データベース再構築連携
 各機関で作られたデータベースを統一したフォーマットで再構築された状態を実現する。

今後は4の比重が大きくなるだろうと思われます。ただ、統一したフォーマットなんて簡単な言葉で
表現をしていますが、そんなに簡単な問題ではありません。特に統一したフォーマットについては
RDFというものに重きを置いて、実装を進められている方が多いです。RDFなんじゃらほい?ということですが、RDF(Resource Discription Framework)簡単に言うと、データベース中のデータを一つのノード
(中身の入った○)として、そのノード間の関係を記述したものです。

例:(遺伝子A)ー原因となるー(疾患B)
  ノード  関係性   ノード

で、それぞれの関係性があれば、どんな風にも書き加えて(どんどん繋げて)いくことが出来るので、柔軟なことが魅力で結構多くのデータがRDF化され、活用もされつつあります。
ただ、どこまでをそのノードにするのか、そして、関係性を記述する語彙はどうするのか
そういったことの統一性が取れないと、データを統合していく意味が薄れ、
しかも、未開拓な分野なので、それを使いやすいGUIまで持ってくるとすると、一苦労です。
バリバリプログラムが書ける人なら良いですが、そうでない人が、じゃあRDFにしてね、といった時にその利点を明確に示すまでには、まだ時間がかかるのではないかと個人的には思っています。
(反論募集中)
私のラボではスウェーデン出身のナイスガイが、こちらのプロジェクトの結果と
外部のRDF 例:bio2RDF http://bio2rdf.org/
を使って、アプリケーションを作っているので、もう少ししたら(現在機能をかなり改善しています)

宣伝します。一つの解決策としての提示になっていると思います。

そんなこんなで、私は2の横断検索連携を行って来ました。
横断検索連携はプロセスであるという方も多いです。でも、今後どんな形での統合データベース
になっても、検索機能というものからは逃れられないと思うので、これに尽力していました。
詳しくは以下のスライドをご覧ください。



横断検索のUIは連携機関ごとに作っています。
それは、UIと検索対象とDBごとの重み付けが異なるからです。
NBDC : http://biosciencedbc.jp/dbsearch/index.php?lang=ja
Medals : http://medals.jp/
Sagace : http://sagace.nibio.go.jp/

もちろん、速さや精度で改善すべき点は多々あり、一つのデータベースに対して検索対象
であるDBに対して一つ一つプログラムを書いてデータを取得して、リンク切れ等もこまめに
チェックしているので、なかなか大変です。
そして、スライド中でメタデータという提案をしています。
これは、もう既に出来上がっているデータベースのそれぞれのデータに対してそのデータが
何であるのかということを明確に記述するための仕組みです。
これが何が良いのかといえば、スライド中にも書いたように、一度書いていただければ
そのデータを共通のクローラーで読み取って、データを取得出来ます。
検索サイトではそのメタデータを検索結果に表示することで、可読性をあげています。
具体的には一度埋め込んでいただければ、生物種、疾患名、最終更新日、関連リンク
を反映させる予定(今年度中)です。

スライド中では、見た目だけの話しかしていないのですが、どのページがどの情報を持っていたという記述はRDFに変換することも可能です。一度メタデータとして埋め込んでもらえれば
他の用途に使いたい時でも、(例:特定の疾患の関連するデータを取ってきたい)
使えるわけです。そして、疾患名は、人によって表記が色々なこともあるので、そういった時に
一度IDで書いて貰えれば、それまで異なる呼ばれ方をしていた疾患データを繋げることができます。また、もう一つのミソは、この活動が広まれば、データベースを統合するということの
重要性を個々のデータベース管理者に知ってもらうことが出来る可能性があります。
それで、スライド中にも出てきますが、もし、schema.orgに認められて大手の検索サイトで
情報を拾ってくれるようになれば、埋め込んでいただいたデータが、GoogleやYahoo!で表示
される可能性があります。(ほら未来があるかも・・・?)

専門的ではない話が多くて恐縮ですが、バイオインフォマティクスが扱える分野は
今偏っていると思うのです。それは、データを統一した形式にまとめて解析する必要があるから。
しかし、世の中にある生物の研究分野も専門分野も多種多様です。正直手付かずな部分も
多く、そういうの、どーすんの?といった分野もあります。

個人的には今いるのが医薬基盤研なので、今後は疾患、薬、に着目していきたいと思っています。
基礎研究と疾患を繋げる必要性は必ず出てくる。思わぬ研究分野で思わぬ繋がりが必要な
分野も出てくるのではないかと思っています。患者さんがその疾患のメタデータを埋め込んでくれればそこでの症状と、治療法とその研究をしている機関を一度に表示させることも出来るわけです。

疾患名を基軸としてデータを
繋げられたらいいのではないのかというのが、最近のごちゃごちゃとした考えです。
疾患や薬を基軸とした絞り込みや、特定のファセット項目での絞り込みの結果を
統一した表記で提供できたら良いのではないかというのが将来展望です。
連携機関としては、繋げたことの意義とこれからも残るものを提示したいと
思っています。


生物資源だったら、特定の疾患で検索した時に、理研でも大学でも医薬基盤研でも
所属する機関や省庁関係なしに、それらが持っているデータの情報を一度に提示出来る
ようになる可能性があります。色々な大学や機関でバンク系の事業は進んでいて、そこでの
表示方法は様々だからメタデータで必要な情報を抜き取れる形にして、
まとめサイトがあることは、絶対に便利だと思います。(ついでに、発注が現在できるかどうか
の情報まで出たらもっとナイス、と思っていましたが、これについては賛否両論があって
難しそうです。)

なので、ぜひ、皆さんのDBにも気軽にmicrodataを埋め込んでみてください。
書き方が分かりにくいとかそういったことは、容赦なく言ってください。

http://wiki.lifesciencedb.jp/mw/index.php/BH12.12/schema.org

ライフサイエンスの分野以外だったら、googleで取ってきてくれるデータもあるので
お試しください。
http://support.google.com/webmasters/bin/answer.py?hl=ja&answer=99170&topic=1088472&ctx=topic


DBを統合する難しさは、DBを統合した後、それを活用するのが専門家であるということにも
一つあると思います。Generalなものは求めてられていないので、特定の分野での
意義を示す必要がある。特定の分野?というと、自分の研究していたもしくは現在の
所属機関の研究に近いものを提示することになる。
そうすると、統合DBであるというアピールにはわかりにくくなる。
本当にDBを統合したことで生まれた利益なんだということを示す必要があるのだけど、
そういったことを論文にしないと成果として認められにくい昨今においては
DBを統合することの意義をどう示して、どう評価してもらうのかというのも難しいと思っています。
そういった矛盾も孕んでいるように思っています。
でもせっかく作るなら、意味のあるものを作りたいし、使われるものであってほしいし、
DBを統合する働きをしたから初めて出来た成果でありたいし、未来に残るものであってほしい。

こういうことを悶々と考えてしまったわけですが、本当はお酒でも飲みながら
連携機関の人々と、ざっくばらんにあーだこーだいうというのが大事なのだと
思います。BioHackathonでは、夜になると酒飲んで話しあいまくる時間があるのですが、
あーいった時間は絶対に必要だと思います。
先人たちが作り上げてきたものに、矛盾もあるだろうし、負の遺産もあるだろうし、
直さなければいけない点も多々あるし、やんなきゃいけない点も山ほどあるし、
プロジェクトの明日は分からないことも多いし、
個人個人によってDBを統合することのイメージ自体も異なっているみたいだし、
何だかなと思う。難しいって思い過ぎなのかな、悲観的になり過ぎなのかな。

私には何が出来るのかな、って考えた時に、今の取り組みになったのです。
でも、ただの修士を出た若造の考えることですから、見通しの甘い部分も
すごくあると思います。足場のきちんとした組織を作って、そこの立場が安定していて
方向性が明確ならば、もっと人も集まるだろうし、議論もしやすかろうと思う。
でも、きっと問題はそう単純じゃないのですよね?



最後に宣伝ですが、もう少ししたらアンケートを実施します。
この時期アンケートが多くて恐縮ですが、どんなデータがどのように
表示されたら、超嬉しいんだけど、ということをシンプルに知りたいです。
また後ほど宣伝しますので、ぜひご協力ください。

使われるものを作りたい。使うのがちょっと嬉しいものを作りたい。
基本的には、それだけかもです。



2012年8月9日木曜日

実験プロトコルのレシピ化(マイクロデータ)

SDS-PAGE



作成:
公開日:
SDS-PAGE の実験レシピ

総合評価: 3.51 件のレビュー
準備時間:
調理時間:
合計調理時間:
分量: 1人分
1 人分: 半分
1 回あたりのカロリー消費: 200 kcal
1 回あたりの脂質消費: 20 g

材料:
ト リ ズ マ ベ ー ス ( Trizma base) 溶 液: 0.3 M
ε -ア ミ ノ カ プ ロ ン 酸: 25 mg/mL
ニ ト ロ セ ル ロ ー ス ( NC) 膜: 孔 径 0.45μ m
Tween20 含 有 ト リ ス 緩 衝 化 生 理 食 塩 水 ( TBS/Tween): 0.05% L
Tween20 含 有 リ ン 酸 緩 衝 化 生 理 食 塩 水 ( PBS/Tween): 0.05%
作り方:
1. 10~ 20%の ア ク リ ル ア ミ ド ゲ ル を 使 用 し て SDS-PAGE( カ セ ッ ト サ イ ズ 約 80×80mm) を 行 い ま す 。 ※ ゲ ル の 濃 度 は 目 的 タ ン パ ク 質 の 分 子 量 に 応 じ て 選 択 し ま す 分 析 用 の 場 合 は 、 1 ウ ェ ル に 0.5~ 10 μ g の タ ン パ ク 質 を ア プ ラ イ し ま す 予 備 実 験 用 の 場 合 は 、 1 枚 の ゲ ル あ た り 600~ 800 μ g の 全 細胞 も し く は 組 織 ホ モ ジ ネ ー ト を ア プ ラ イ し ま す 。 分 子 量 マ ー カ ー を 1 レ ー ン ア プ ラ イ し ま す 。 ( も し 、 目 的 バ ン ド が 染 色 さ れ な い な ど の 場 合 に は 1 レ ー ン 当 た り の タ ン パ ク 質 の 量 を 増 や し て 20 μ g/well な ど で ご 検 討 く だ さ い 。)
2. 追 跡 色 素 が ゲ ル の 終 点 か ら 約 1cm の 位 置 に 移 動 す る ま で 、 1~ 2 時 間 200V の 定 電 圧 で 泳 動 し ま す 。 ゲ ル の 調 製 法 は 、 文 献 や 書 籍 等 に 多 く 記 載 さ れ て い ま す 。 参 考 文 献 : Disc Electrophoresis and Related Techniques of Polyacrylamide Gel Electrophoresis by H.R. Mauer( de Gruyter;Berlin, New York, 1971)


内容はあくまでサンプルです。悪しからず。 参考 http://www.sigmaaldrich.com/content/dam/sigma-aldrich/docs/SAJ/Brochure/1/j_recipeabwb.pdf http://www.personal.psu.edu/jms5704/blogs/simmons/sds_page2.gif

2012年8月8日水曜日

とうもろこしレシピ(マイクロデータテスト)

簡単エコなゆでとうもろこし



作成:
公開日:
簡単おいしいとうもろこしの食べ方です。

総合評価: 3.51 件のレビュー
準備時間:
調理時間:
合計調理時間:
分量: 2人分
1 人分: 半分
1 切れあたりのカロリー: 85 kcal
1 切れあたりの脂質: 3 g

材料:
とうもろこし: 1個
: 少々
作り方:
1. とうもろこしの皮を極限までむきます。
2. 電子レンジ600wで4分ほど加熱します。
 3. 冷めるまでまって,いただきます。