2018年9月12日水曜日

身近な戦争と記憶と記録と

陸軍前橋飛行場 私たちの村も戦場だった
読了した。

正直厚くて読みにくい本である。500ページ近くあり、内容も物理的にもずっしりと重かった。
中学時代の恩師(編著者である鈴木越夫先生は私の中学時代の恩師(校長先生)でした)の本でなければ、きっと読まなかったであろうし、読み切ることも無かっただろう。
しかし、読んで良かった。とても良かった。

私は、地元の歴史というものに興味を持てない子どもだった。そもそも歴史が1番苦手な科目だったのに地元の歴史など興味を持てようはずもない。
それから、なんだか土臭いものが好きじゃなかった。もっと明るくてキラキラしたものや未来があるものが好きだった。(今も好きだ)
しかし、歳を重ねるにつれ自覚した。過去があり、はじめて現在と未来があることを。
過去を知り整理することは、よりよい未来を築くために必要不可欠なことである。
これは分野を問わない真実である。

前置きが長くなった。本書は戦争末期に存在した飛行場を中心とした戦争時代の青少年の体験記である。

陸軍前橋飛行場について、残念ながらどうやら日本では戦争に関する公的な記録の多くが失われているらしい。本書中でも市町村誌、学校で保存されていた資料が参照されているが、戦時中の資料の多くは焼却処分されたらしく、本書中でも記録として残っている資料は極めて少ないと記載されている。
公的な記録が無くなった歴史はどうなるか、私的な記録と、生きている人の記憶に頼るしか無い。
本書は、私的に残されていた記録と、本書作成に携わられた方の記憶をもとに作成された体験談をまとめているものである。この本を読み進めると、それぞれの体験に重複する点があることが分かってくる。
本書の素晴らしいところは、それぞれの体験談が前橋飛行場にフォーカスしているので、徐々に飛行場がどのようなものだったのか、立体的に浮かび上がってくるところである。

詳細は読んでいただければと思うが、印象的な記載を3つ取り上げたいと思う。

まずは、特攻隊と前橋飛行場周辺の人々との関わりである。
特攻隊についてはご存知のかたも多いと思うが、敵艦に飛行機で体当たりで突っ込み多くの方が亡くなった特別攻撃隊のことだ。
前橋飛行場では、沖縄戦に行く前の特攻兵士たちが、練習のために前橋飛行場周辺に滞在していたらしい。彼らは、飛行場周辺の民家に短期下宿し、地元の人々と交流していた。これは彼らに家庭的な環境を与えたいという軍部の配慮では、との記載もあった。彼らはあたたかな交流をする。しかし、死を覚悟した若者である。彼らは「出撃します」と突然言い残して下宿先を去っていく。下宿先の住民は彼らを見送り、兵士が乗った飛行機は別れを告げるためにお世話になった民家の上で旋回し、翼を揺らしたとの記載が幾つもある。お世話になった人々へプレゼントを渡す兵士、自分の先祖には直接手を合わせられないからと下宿先のお仏壇に手を合わせる兵士、それらの記憶は下宿先の方々にとっても印象的だったのだろう。詳細な記載が複数あった。

次に印象的だったのは、戦争が終わるその日まで飛行場周辺も爆撃されていたことだ。前橋が爆撃され、焼け野原になったとは知らなかった。当時1日で500人以上も亡くなったらしい。地元の小学校が爆撃されていたとは知らなかった。終戦当日まで攻撃されていたとは知らなかった。私の出身地は福田赳夫元首相の生誕地であり、福田康夫元首相の疎開先である。疎開先でもあった地域だから、当然戦争の被害にあうような地域ではないと思っていた。

体験談の多くには、戦争は決してしてはならないと書かれている。これらの体験を時代を現代に変えて身近な地域で起こったと想像してみよう。自分の家が焼けて無くなったと考える、自分の親や兄弟が戦争に行って帰ってこないと考える。友人が戦争で亡くなったと考える。ホームステイで留学生を受け入れて仲良くなったのに、彼らは死にに行くと考える。こう捉え直すと戦争の凄まじい不条理が想像できるのではないかと思う。

最後に、この体験談は70代~90代の現在のお年寄り、すなわち戦争時代には子ども~青年期の若者が中心である。本書を読むと戦争末期には、通常の生活はなくなり、学校の勉強はほとんど機能せず、戦争のために働かされていることが分かる。(余談だが勤労なのでお給料も支払われて、あとで学校経由でもらっていたりする)そして戦後は、それまでお国のために身を捧げる覚悟で働いていたのにもかかわらず、新たな道且つ新たな価値観で生きることを強要されるのだ。体験談を読むと、それに対して少なからず戸惑いを覚えていたこと、そして青春時代を戦争に捧げなければならなかったことに対しての憤りや埋められない穴のようなものを感じる。

私は祖父母が存命のときにこれらの話を聞いておきたかったと思った。しかし、本人にとって辛い記憶であれば、それはあえて聞かないと語れないものであったに違いない。鈴木先生も本書内で先生の親世代からは戦争の話を聞かなかったと書かれていた。本書はそうした意味でも価値が高いと思う。

本書は最近映画化されたのだが、東京での映画公開時に開催されたトークイベントにおいて、本書を映画化した飯塚俊男監督から印象深い発言があった。地元での映画の上映後に映画を観た人に感想を聞くと、戦争を体験した方の場合、私もこのような体験をしたとお話してくださるらしい。これは非常に重要なことだと思う。あと30年もすれば第二次世界大戦の記憶を語れる人が亡くなってしまうだろうから、当時の貴重な記憶は可能な限り次代に伝えるべきなのだ。そして特定の時代を生き抜いた人々という意味では、どの世代の人々も貴重な時代を生きていると言ってよいのだと思う。過去の知識は未来への財産に変換すべきなのだ。

ちなみに、映画はかなり書籍からアレンジされている(エピソードが多すぎてすべてを映画化するのは困難だったとも思う)。映画版では住谷修さんが独自に当時の記録を書き続けた「村日記」にフォーカスがされている。(原作でも重要な資料として書かれているが割かれているページ数はそこまで多くない)
そして特筆すべき点として、映画において独自に追加され強調されている部分としては公文書管理の重要性への言及があった。映像作品を作るためには体験談を書かれた方のインタビューや現在の様子を撮影するだけでは資料が足りない。そうしたときにアメリカ国立公文書記録管理局に行くと、地元地域では失われた記録が、あっさりと出てくるのだそうだ。前橋という日本の一地域であっても多くの写真や資料がきちんと保存されている。福田康夫元首相は、こうした状況を30年以上前に気が付き、公文書管理法の制定につながったらしい。こちらに記載があった。https://globe.asahi.com/article/11534844

映画自体の表現方法や展開には、唐突すぎてついていけないシーンも多くあったが、
記録を整理して保存する意義、という点で公文書管理に言及するというまとめは非常に印象的だった。
個々人の記録と記憶、そして公の記録。自分が未来に何を整理してどう残すべきかということを考える上でも示唆に富んだ作品であった。
つまり目下の生活や仕事の記憶や記録は、未来の人類から考えたときにどう整理して保存すべきかという視点を持つ、ということである。
仕事の記憶や記録は公の記録、目下の生活は家族や友人のための記録、ともに子孫のための記録ともいえよう。

前橋では、前橋シネマハウスにてロングラン上映されているので、近郊の方はぜひ観に行ってほしい。
東京でも、今後9月17日と10月3日に新宿K's cinemaで上映が予定されているので、興味のある方はぜひご覧頂きたい。

特に旧群馬町地域及び前橋、高崎の方々はもう課題図書にして良いのではないかぐらいの書籍です。

群馬の書店には並んでいるらしいので群馬の旅行のお供にぜひ!

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